鏑木親子(TB)

お父さんが赤ちゃん返りした。いや、ほんとうはしてないんだけど。でも赤ちゃんみたいにわんわん泣いて、うわあんうわあんって、大きな声で泣いていて。生まれたての赤ちゃんってこんな感じなんだろうなあって、わたしは冷静に考えていた。今日はわたしの誕生日なのに、なんでそんなに泣いてるの、なにかあったの。そうきくと、おまえの誕生日だからだよ、とお父さんは声をふり絞った。わたしの誕生日は、かなしいの?ちがうよ、うれしいんだよ。そんなにうれしいの?うん、こんなにうれしいよ。そんな会話をしているあいだも、お父さんの涙はとまらなかった。部屋の隅でお母さんが笑っている。ほらみろ楓、お母さんもお誕生日おめでとうって、おまえがまたひとつ歳をとってうれしいって笑ってるよ。お父さんのやさしい声がきこえる。わたしはすこしだけわらって、お母さん、楓おおきくなったでしょ、って、4歳のときみたいに言った。成長したわたしをみて、おおきくなったねって、言ってほしかったなあ。そう言ったら、お父さんが、パパが、おおきくなったなあって言ってわらった。ママの分まで、パパが楓のためにいっぱいいっぱい喜ぶからな。って言ってわらった。そうだね、パパがいるんだよね。
「ねえパパ」
「どうした、楓」
「楓も、赤ちゃん返りしていい?」
「うん、いいよ、いいにきまってる、いっぱいなきなさい」
わたしはちょっとだけ赤ちゃんに戻った。赤ちゃんがふたり、わんわんわんわん泣いていた。

兎と虎(TB)

視界がぼやける。首に回された両の手が、ぎりぎりと、ぎりぎりと。圧迫を続けるのだ。白い手が、細っこいその指が、俺を、みちみちと絞めていく。頬に伝う涙はかなしみの証。血の流れる唇はくやしさの証。おまえは今、俺が憎くて憎くて仕方がないらしい。昨日までこの手は俺を傷つける手ではなかったはずなのに。昨日までその瞳は俺を射抜き、睨み殺すようなものではなかったはずなのに。手を取り合って、助け合っていた日々などまるでなかったかのようで、思い出など、まるで死に絶えたようで。

「なあ、バニー」
「黙れ」
「バーナビー」
「黙れ!」

荒げる声とともに、かたかたと、バニーの手が小刻みに震えだす。ぽたりと頬に落ちたのは血なのか涙なのか、確認する術はなかった。ゆるやかに首を絞める力が強められていく。なんだか途方もなくかなしくて、ふっと目を細めた。視線の向こうで緑が泳ぐ。

「バーナビー」
「…おまえがサマンサおばさんを、」
「なあ」
「殺したんだ、おまえが!」

とどかねえなあ。なんて思いながらすこし笑った。俺の声はあいつの鼓膜に向かう途中でシャットダウン、言葉たちは無残にも効力を持たず消えてしまった。何がおかしい、とまた激昂する男は俺の相棒だったはずなのだ。なあバニー、なあバニー?はやくわらってくれよ、俺いますっげえおまえの笑顔みてえや。


20話も鬱でした記念

鏑木夫妻未完(TB)

幸せだったかと訊けば幸せよと答えるような妻だった。ごめんと言えばありがとうのほうが嬉しいわと返すような妻だった。ありがとうなと言いながら泣くと笑顔が見たいなあと困った顔をするような妻だった。彼女はいつも気丈だった。俺なんかには勿体無いような妻だった。

「ねえ、いつまで泣いてるの」
「だって、おまえの寿命が、もう、残りちょっとだって先生が、さあ」
「宣告された本人より泣いててどうするの」
「な、なんで、なんでおま、そんな、笑ってんだよ」
「薄々わかってたのよ。あー私もう長くないなあって」
「そ、そんなん、そんなん、よお」
「ねえもう笑ってよ。そんな顔で楓に会ったら笑われちゃうわよ」

兎虎未完(TB)

ほんのちょっと魔が差しただけというか、好奇心で終わらせるつもりだったんだが。ほら、熊を見たら死んだフリしろってのを兎で試しただけみたいな。出来心で少しだけ試しただけだった。

「おじさん、夕食できましたよ」

だだっ広いバニーの部屋の中央でごろりと寝そべっている俺の体を、部屋の主が揺さぶる。夕食っつってもたぶん冷凍食品か何かだろう。こいつは料理にあんまり感心ないみたいだからなあ。


本題に入る前に飽きた^ё^

晶馬と冠葉(輪ピン)

兄貴は気がつけば初恋を体験していたし気がつけばファーストキスを済ませていた。気がつけば女の人と恋愛的な付き合いを始めていたし、気がつけば、初めてのセックスだって、終えていた。僕がまだ大事に大事にとっている、否、怖くて捨てることができないものを兄貴はいとも簡単にその辺の女の人に捧げてしまったのだ。双子だっていうのに、僕らはどうしてこんなにも違ってしまったのか。生まれるのが数瞬遅かっただけなのに、僕はどうして冠葉と並べないのか。

「初体験について聞きたい?まあ構わんが…あれは確か、中学の頃だったなあ。相手は先生だった。下校中、教室に忘れ物をしたのを思い出して取りに戻ったら先生がいてな、そこで捕まってあれよあれよと言う間に童貞卒業だ。…しかし、まさか女のパンツを見ただけで真っ赤になるおまえにそんなことを聞かれる日がくるとはなあ」

おまえにもやっとそういうことへの耐性がついてきたみたいだな、とくつくつ笑う兄貴の顔はにやりと歪んでいて、非常に頭にくる。飄々としたこの性格は、僕とは似ても似つかなかい。
中学の頃に済ませていただなんて知りもしなかった。脳内で古ぼけた記憶の断片を手繰り寄せてみたけれど、兄貴が初体験をしたと見られる日に心当たりは一切ない。兄貴はいつもいつもにこりと変わらぬ笑みを湛えながら、僕と陽毬にただいまを告げていた。家の外で何があったって、僕らに見せるのは笑顔だけだった。どれだけのことを一人で背負い込んできたかなんて、僕には専ら見当もつかない。兄貴はどこまでも兄貴で、どんなときも僕らに辛さを垣間見せることさえしなかった。そんな兄貴に僕はいつだって敵わない。

「ねえ冠葉」
「どうした?晶馬」
「僕たちは双子なんだよね」
「…今日の晶馬はへんだな」

大きな腕に体をすっぽりと収められた。まるで子供にするように、冠葉はぽんぽんと一定のリズムで僕の背中を叩く。双子じゃなかったらなんだって言うんだ、と快活に告げる声が鼓膜に届いた。ああやっぱり僕はいつまで経っても弟で、兄貴にはかないっこないのだ。
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