一左馬(ヒプマイ)

左馬刻さんの薄い唇にタバコの先が重なる。上下の仄かな赤がそれを少し雑に挟むと、口端からすう、と空気の吸い込まれる音が溢れた。タバコの先が炎の色に光る。左馬刻さんが作り出すいろいろな赤色を見てると、どうしてだか警告でもされてるような気分になる。唇を舐めるときに現れる舌だとか、たまに服や拳に付いている血だとか。今はタバコの先。燃えるそれは少しずつ、スローモーションみたいな速度で灰を作っていく。
「一本吸うか?」
「え?」
唐突にそう尋ねられて思わず間抜けな声を上げてしまった。口角を少しだけ持ちあげたその人はタバコから唇を離し、そこから白い煙を吐き出す。
「吸いてえんだろ」
左馬刻さんのいやに白くて長い指に挟まれたタバコはじっとこの人の唇を待っていた。羨ましいんだろ、と目の前の人は言う。少しだけ間を置いたあと、その赤い目を見据えた。
「いいっす。ばれたら面倒なんで」
「は。ガキも苦労してんな」
愉快そうに笑いながら左馬刻さんはまたタバコをくわえる。炎が光る。赤信号みたいに。渡ってはいけませんよ、と脳内ではもっともぶった大人の声。
「吸ったことは?」
「ないっす」
「吸ってみたくなんねえのか」
「あんまりすね」
目の前の人の視線がゆっくりと俺から外される。そして、つまんねえ嘘ついてんじゃねえぞ、とその口が笑いながら動いた。
「じゃあ何をそんなに見てんだ。欲しいんだろ、一郎くんよ。正直に言ってみろ」
薄い唇の赤。そこから濡れた舌の赤が現れて、唇を濃く色づけた。タバコの先には炎。赤信号、……俺は赤が色の中で一番好きだった。だから、欲しい、全部。喉から手が出るほど。
「言っていいんすか」
熱くなりはじめる自分の頬に気づかないふりをしながらつぶやく。左馬刻さんはやっぱり笑っている。その長い睫毛の下の、俺の一番欲しい赤は楽しげに細められた。
「いいに決まってんだろ。ここにはオトナもキョーダイもカミサマもいねーよ」

帝幻未完(ヒプマイ)

「霊?」
「はい」
出るんですよ、この家。幻太郎は至極真面目ぶった顔でそう言い切った。読んでいたパチスロ雑誌から顔を上げて、真意を探るためその目を覗き込む。書き物用の机の前に正座しながら俺を見下ろす男の表情は、想像したとおりの真剣そうな真顔だった。
「うちはなかなか歴史のある家で、そのぶん歴代の人間の感情がたくさん籠もっているんですよ。中にはそれがはっきりと遺りすぎて、怨霊と化してしまっている人もいるようで」
「おいおい。さすがにそんなうさんくせー話信じるわけ……」
「ほら、いま帝統の後ろにも」
「うおおッ!」
慌てて横にしていた体を起こしその場から飛び退く。息を呑みながらおそるおそる後ろを振り返った、が、そこには何の存在も居はしなかった。
「なんもいねーじゃねえか!」
「ああ、帝統はんは霊感があまり強くないんどすなあ。わちきにははっきり見えますえ」
「え……マジ?」
どっ、と顔に汗が湧き出す俺を見ながら幻太郎はくすくす笑った。いや笑い事じゃねえだろ、お祓いとかしろよ。もし呪われたらどうすんだ。悪霊の呪いのせいでギャンブルに勝てなくなっちまったら、俺はもう生きていけねー。
「まあ、満足すればそのうち出ていくんですがね。くれぐれも気をつけてください。夜は特に」
「よ、夜?」
「夜は霊力が強くなるんですよ。だから、もしかしたら鈍感な帝統にも霊が見えるかもしれません。あまつさえ手を出してくるかも」
さらさらーっと原稿用紙に筆を走らせながら幻太郎はあっけらかんとそう言ってくる。つまり、実害があるかもってことか?それってかなりヤバくねーか。つか、こんな弱そうなのに一人でこんなとこ住んでて大丈夫なのか、こいつ。涼し気な顔で手元に目線を下ろしてる幻太郎の近くに寄って、そこに腰を落としてからあぐらを掻く。ずっと畳の部屋にいるせいなのか幻太郎からはい草っぽい匂いがする。
「お前、住む場所変えたほうがいいんじゃねえか?危ねえだろこんなとこ」
「おや。心配してくれてるんですか?」
紙から離れた目がそのまま俺に向いた。そこそこの距離だから、やたらにバサバサした睫毛と目の中に差す明るい色の光までよく見える。障子から入る太陽の光も差して、幻太郎の目の緑がちょっとばかし薄く見えた。
「そりゃまあ、ダチが呪い殺されたら胸糞悪ぃし。お前弱っちそうだから襲われたら勝てねえだろ」
「……一言多い気もしますが、心配してくれてどうもありがとうございます」

どひふ(ヒプマイ)

一二三と温泉街に旅行に来た。ちょうど紅葉がきれいな季節だから、一二三は「SNS映えする」と大はしゃぎだ。写真を撮るたびバズったかと訊いてやると元気な声でバズった!と返すのが少し面白い。
この旅行のために有給を取れるだけ取った。同僚いわく課長が今までで一番不満そうな顔で俺を見つめていたらしいが、俺は課長の神々しい頭しか視界に入れていなかったので特にダメージはなかった。もう課長に嫌われようが課長がハゲようがどうでもいいのだ。スマホの加工アプリをいじっていた一二三が不意に顔を上げて俺に笑いかけてくる。
「なあなあマジでヤバくね?独歩の隈どう加工しても全然消えねーんだけど」
「悪かったな、SNS映えしない顔で」
ハハハと無遠慮な声を上げながら一二三はスマホをポケットにしまう。そこにちょうど紅葉が落ちてきて、小学生よろしくの挙動で一二三はそれをキャッチした。葉っぱをくるくると回しながら超キレ〜と呟いている。こいつは何を見ても楽しそうだ。正直少し羨ましい。俺もこんなふうに生きられたらもっと楽だったんだろうか。
いくつかの温泉を巡り、時に貧血寸前になりながらも俺達はまたとない温泉旅行を満喫した。最近家でシャワーを浴びるくらいしかしていなかったから風呂の良さというのが身に染み渡る。「やっぱシャワーだけじゃ疲れなんか取れねえっしょー」とは一二三の談だ。確かに日頃の疲れがかなり取れたように思う。取れたところで仕方ないのだが。
「独歩ぉ、このへん超景色よくね?」
ふと立ち止まって一二三がそう言った。言われてみれば海が見渡せるここは都会にはない自然としての美しさがある。水平線に沈む夕日は絵のようにおごそかで、見ているだけで涙が出てきそうなほどに穏やかな光景だった。絶景スポットだと思うのだが意外にもあたりに人は少ない。一二三もそれに気がついたのか、何度かあたりを見回してから上機嫌そうに微笑んだ。
「ちょうどいいじゃん。明日このへんで死のーぜ」

もう疲れたからどっかに死にに行く。何杯も酒を呷ってベロベロになった俺はある日一二三にそんな宣言をした。一二三はへえーと軽い相槌を打ったあと、「んじゃ俺っちも死ぬわ」とこれまた軽い調子でそう返してきた。どうせなら最高に贅沢をしてから死にたいという意見で意気投合した俺達はその足でコンビニに旅行雑誌を買いに行き、一時間ほど揉めてからなんとか旅行先を決めた。遺書はパワーポイントで作った。希死念慮上昇の年間推移をグラフ化して御社のクソ加減を見やすく表にしてから一二三に見せると腹を抱えて爆笑していたので少し嬉しかった。そして出発の前日、本当に俺なんかに付き合う気かと訊いてみたら一二三はこう言った。
「おー。独歩がいなくなるっつーんなら、俺っちももういいし」
何はともあれ俺達は明日死ぬのだ。旅をあらためて振り返ると当初の予定どおりなかなか贅沢な楽しみ方が出来たと思う。温泉に死ぬほど入れたし、昨日の夕食は蟹だったし。あと今日は大量の酒とつまみを買い込んでこんな夜中まで一二三とウノをしたし。ジェンガも持ってくりゃよかったーとため息をこぼす一二三は小学生の頃と何も変わっていなくて、それがあまりに居心地がよかった。
お高い旅館の布団はどうしてこうも寝心地がいいんだろうか。畳からも何か高級な香りがするし、まるでこの世の天国だ。明日もここで目を覚ませるのか。しかも、起きる時間は決まっていない。憂鬱な気持ちでアラームを止めることもニュース番組左上の4桁を気にすることもしなくていいんだ。ああ、世界はなんて美しいのだろう。明日が来れば、俺はこの素晴らしい世界で死ねる。一二三も一緒だから何も怖くはない。俺は自由だ!そう心の中で何度も呟きながら、俺は強く瞼を閉じた。きっと自由だ。明日が来れば、……。
「ヤベーって独歩ぉ!ここのトイレさあ、戸棚開けたらなんかいろいろ入ってんの。ちょ、一回行ってみろって!」
「あれ、独歩ちんもう寝た?」
「のび太くんかよ!」
「えぇ、マジで寝た?」
「疲れてたんだなー、独歩」
「ちぇー、恋バナしよーと思ってたのに。修学旅行の夜的な?まー俺らそんなん縁ないけど」
「俺っちも寝よーっと」
「おやすみぃ」
「あっ」
「独歩!さっきウノって言ってねーじゃん!」
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