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折砂(TB)

「君を幸せにしたいんだ」

出所してから初めて顔を合わせたとき、イワンは俺の目を真っ直ぐ見据えてそう言い放った。気弱でいつもおどおどしているイワンにしては珍しく力強い言葉と声だったから、そのときのことはよく覚えている。傷だらけの手に頬を包みこまれ、なんだ気持ちわりいと吐き捨てた俺にあいつは笑っていた。その余裕ぶった顔には多少なりともいらついたが、君をずっと待っていたと幸せに浸るように紡いだ姿を見て怒りはどこかに逃げていった。前科つき文無し男に対する態度にしてはあまりにもお門違いの暖かさにそのときはただただ立ち尽くすしかなく、俺はあいつにされるがままにされていたのだった。

「エドワード、ちゃんとピル飲んだ?」

あれから半年とちょっとの時が経った。何があったというのだろう、イワンはすっかりこのざまに成り下がってしまった。ピルって。こいつは俺の性別をなんだと思っているのだろう。ヤったとしても当然俺には子宮なんてものなどないから子供なんてできるわけがない。いや、男にも子宮ってあったんだっけか?でも前立腺がなんちゃらかんちゃらで妊娠はできないとかなんとかだったはずだ。つまりそういうことだ。だから俺はそれをストレートにイワンに告げることにした。

「なあイワン」
「ん、なに?」
「子供とかできるわけねーだろ」
「え?」
「だから、俺らの間に子供はできねーって」
「なんでそんなこと言うの」
「なんでって…」

なんでってそりゃ、一般論だからだろ。愛さえあれば子供だって授かれる、とか言ってほしいのだろうか。残念ながら俺はそこまでロマンチストじゃないし理想に生きてはいない。全部こいつの独り善がりから成るタチの悪い妄想だ。たぶん今の俺は何とも言い難い複雑な顔をしているんだろう、俺を見つめるイワンの紫に魚をみた。泳ぎ回るそれに応じて厚い唇がきゅっと引き締められ、やがて、海が満水状態を迎えてしまった。

「僕だって」
「あ?」
「僕だってわかってるよ、男同士で子供ができないことくらい、わかってる、よ」

ぽたぽたとしょっぱい水が零れ落ちる。それを目にした瞬間にため息が自然と口をこじ開けて外へ出た。まただ。昔から変わらないネガティブ精神を持つイワンは、たまにこうして、すごく面倒くさく扱いづらくなる。こうなると何を言っても曲解してマイナス方面の意味に受け取りやがるので手の打ちようがないのであった。

「わかってるけど、でも、もしかしたらって思って、奇跡が起きるかもしれないって思ったんだ、でもまだ僕は半人前で、父親になんてなれないから、だから、今は避妊しなきゃって」
「ああそう」

ちゃんと聞いてよ、エドワード。そう言ってイワンは俺に抱きついてくる。いや、これは最早タックルの類だった。どん、と勢いをつけてぶつかってきた細っこい体が、細いわりにけっこうな力を無駄に発揮させていたので、ふらついた俺はイワンごと後ろに倒れこんでしまう。ぼすん、柔らかいベッドが二人を受け止めスプリングが鳴いた。よかった、後ろにベッドがなかったら頭打ってるところだ。冷静に考える俺とは裏腹にイワンはまだしくしく女々しく涙を俺の服に染みこませる。そしてその間も何かバカみたいな言葉たちをべらべら並べ立てていた。いつからこいつはこんな風になったんだっけ。いつからこいつをこんな風にさせてしまったんだっけ?今のこいつは愛を目で追いたいだなんて女みたいなことを平気で宣ってしまいそうで痛々しいしうざったい。昔も大概ひどいものだったが、今に比べたら可愛く思えるほどだった。しかしそんなやつの傍を離れようとしない俺はいったいなんだっていうんだろうか。病気なのかもなあ。


ちょっと前のやつ

兎折未完(TB)

虎←兎
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よく言えばストイック、悪く言えば殺風景。僕が抱いたバーナビーさんの部屋の印象は、そんなところだった。初めて足を踏み入れたここは確かに高級住宅マンションらしく広い間取りにきれいな景色なんかがあったけれど、本来あるはずのものが高確率で存在していない。なんだか、彼を表したような部屋だ。金色に瞬く睫毛を盗み見ながら静かにそう思考した。
ひとのいるところではできない話があるから、とバーナビーさんにわざわざ自宅にまで呼び出された僕は緊張に身を縮めたりしていた。なんといってもバーナビーさんの家にお邪魔しているのだ、誰だって緊張して当然だと僕は主張したい。シックな色を纏うこぢんまりとしたテーブルに置かれた白いカップの中では、如何にも高級を思わせる香りを放つ紅茶がしんしんと湯気を立ち上らせている。新しく買ったのだと軽く説明してくれた黄緑色のソファーに浅く腰掛けながら湯気越しに彼を見つめた。ただおそろしくうつくしい緑に視線をやる勇気はまだなかったから目の少し下あたりに視点を置く。彼はカップの取っ手にすらりと長く伸びた指を差し入れたまま、それを持ち上げることもそれから手を離すこともなくただ動きを止めていた。緑の海に泳ぐ魚がそのまま水面に映し出されている。何か、言いづらいことなのだろうか。自分から話を促すこともできず、僕のほうも自然と小刻みに揺れる水面を見つめる他ない。しばらくの沈黙を経て、バーナビーさんはゆっくりと僕を捉えた。びくりと体を強ばらせる自分は情けなく小心者の心を露呈させてしまっていたと思う。形のいい薄い唇が勿体ぶるように緩やかに開き始め、やっと言葉を形成した。僕はいま、果たしてどんな顔をしているだろうか。

「驚かないでいただきたいんですが、僕は、僕のバディの、虎徹さんのことが好きなんです」

言葉が終わった直後、当たり前だけれどぷつりとまた静寂が訪れる。車のクラクションのような音が遠くで響いていた気がしたけれど、それはたぶん僕の幻聴だ。クラクションを鳴らされたような気持ちになっていた故の。これは憶測の域を出ないのだけれど、僕はいまなんの表情もこの顔に反映していないのだろうと思考する。誰から見ても、たとえどんなに鈍感なひとであっても、彼の想いは皆本能的に感じ取っていた。そしてそれは彼も知っていたはずだ。驚かないでいただきたいんですが、という彼の前置きが意味を為していない事実も、彼は気がついているんだろう。つまるところ僕は驚かなかった。いただきます、と一言断りを入れてから紅茶を啜る。味も香りに見合って実に高価を感じさせた。美味しいかと問われれば、首を傾げるところだけれど。

「やっぱり、気づいていないのは虎徹さんだけなんでしょうか」
「だと、思います」

苦く笑いながらバーナビーさんもまたカップに口付けをした。彼自身を捉えた瞳が切なげに瞬く。たとえば、この瞳。恋しくてたまらないと訴えるこの瞳を毎日タイガーさんに向けている様を見て、気のつかないひとなどほんの一握り程度だろう。そして、あからさまな好意の先に存在するタイガーさんは、皮肉にもその一握りに含まれていた。笑ってしまうくらいに鈍感なのだ。そのことに対してバーナビーさんがなんとももどかしく思っているだろうことは、やはり誰もが感づいている。言わばすべてばればれ。

主足(P4)

泉のような後悔の中にまた俺は落ちた。先の見えない真っ黒な深海の底で今日も彼は立っている。名前を呼んだら振り向いてくれて、俺の瞳からだらだら流れ出る涙を見てあははと笑った。

「また来ちゃいました」
「また来ちゃったね」
「また菜々子が死にました」
「そう。敗因はわかってる?」
「今回も生田目を突き落とそうとする陽介たちを必死に説得しました。生田目をテレビに半分まで入れているときになんとかみんなの動きを止めることはできたんです。でも、陽介の肘が生田目に当たって、」
「それで結果的に突き落としちゃったんだ」
「はい、もうちょっとだった、のに」
「残念だったね」

汗と涙が絶え間なく溢れて2人の周りの水が塩味に満ちている。7回目くらいからだろうか、彼が悔やみの言葉をくれるようになった。青く光る足立さんの瞳には相変わらず何もうつっていないけれど。カチカチと聞こえる操作音。

「どうする?もうやめる?」
「何言ってるんですか、やめませんよ」
「だろうね」

足立さんは泣きはらした俺の目元を見てからまた笑って、瞬きをひとつした。俺の体が重力をなくして宙に浮かび上がる。データを読み込む音が大きく鳴った。

「じゃあもう一周頑張れるね?」
「当然ですよ、菜々子とあなたのためですから」
「はは、しっかりね」

あともうすこし。彼のその台詞を最後に視界はクリアされた。本当のクリアまであともうすこし。俺はまたひとつの世界とひとりの足立さんにさようならをしたのだった。そうしてなんとか目が覚める。世界におはようを言った。


サカナさんのセントレイを聴きながらの息抜き文
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