龍アソ(大逆裁)

「あのさ、亜双義」
「成歩堂、少し良いか」
二人分の言葉が重なったと思いつつ振り向いた瞬間、唇に柔い感触が降りてきた。ん?何だこれは。まず脳がそう疑問を浮かべる。次に認識したのは視覚、何故か至近距離に存在する亜双義の目の玉。それは驚いたように丸く開いていた。依然として口元には柔らかい何かが当たっている。本当に何だこれはとしばらく考えて、今の状況を冷静に分析した。
亜双義の顔が目の前にある。じっと見つめ合う目の距離はあまりに近すぎる。唇が触れているこれは、同じく唇だ。成程。ぼくは今亜双義と接吻をしている。そう状況証拠が示していた。重なったのは言葉だけではなかったということだ。
状況を認識してからの行動はあまりにも早かった。ぼくはすぐさま身を引く。視線をどこに向ければいいのかわからず、あたりを右往左往した。
「あの」
「事故だから」
言い訳せずとも分かるに決まっていると思うけれど、何故か弁明してしまう。亜双義は未だ固まったままぼくを凝視していた。何か言ってくれないと、気まずさで消えたくなってくる。この微妙にもほどがある空気をなんとか払拭しようと脳から言葉を探って、てきとうに見繕ったそれを笑顔などを交えながら苦し紛れに吐いた。
「あ、ぼく、今のが初めての接吻だな。……なんて」
実際事実なので少し恥ずかしかったが、恥はかき捨てという言葉があるではないか。いや、今使うべき言葉なのかは甚だ疑問だけれど。しかしこれで「なんだキサマまだ何もかも生息子というわけか」とかなんとか言われて場が和むのではないかと思ったのだけれど、亜双義は先刻よりも目を丸くしてぼくを見つめた。じっと見つめられる。見つめられる。られる。れる……。
「……それは、本当か」
ようやく発せられた台詞は予想外のものだった。本当かって何の事だ、と少々混乱した頭が一瞬考えたけれど、ぼくの前述の言葉だと得心し苦笑した。そんなまさか、かき捨てどころか抉られるとは。
「うん、まあ。初めてだった」
けど、と言い終わる直前に、亜双義に変化が起こった。普段からの熱風がさらに熱量を増し、何故か顔が茹でだこのように赤く染まったのだ。暑いのだろうか。自分の風で?……自分の風という言い回しもよくわからないが。
「キサマは、いいのか。初めてがオレで」
「え?」
いいのか?と訊かれても。いいも悪いもないのでは?もう起こってしまった事だし。そりゃあ初めては通じ合った相手と、と思う気持ちがなかったわけではない。しかし、これが現実なのだ。学友の男と事故で接吻。これでぼくの初の口づけは幕を閉じたのである。むしろまったく関係のない同級生などより亜双義のような学内きっての秀才と噂される優秀な学生かつ男から見ても文句なしの男前が相手でよかったのかもしれない。うん、きっと良かったのだ。たぶん。
「おまえで良かったと思うよ、ぼくは」
かなり心情を省略してそう伝えると、またしても吹き荒れる風の温度が上がる。どういう仕組みなのだろう、額に汗が噴き出てきた。亜双義はほぼハチマキの色に近い顔色のままぼくを視線で刺したのち、やたらに咳ばらいをした。その後きりりと眉を引き締める。
「責任は取る」
「は?」
何の?と思ったが、もしや気を遣ってくれているのだろうか。事に及んだこともなく、初めての接吻の相手が男になってしまったこのぼくに対し、その要因になってしまった事に対して何か詫びをしてくれようとしているのだろうか。何だろう、牛鍋奢ってくれるのかな。そう考え想像の中で煮え立つ鍋に垂涎しそうになるけれど、さすがにこんなことで詫びなんてしてもらうのは悪いと思い首を振る。
「気にするなよ。こんなのべつになんとも……」
「いや、オレがそうしたいのだ」
物凄い食い気味にそう言葉を被せられる。何をそんなに責任を感じているのだろう。困惑していると、亜双義がほぼ殺気にも近い気迫を醸し出しながら言葉を紡ぐ。
「まずは些細な事から始めたい。キサマは初めに何をしたい」
初めって何だと思いつつ、こうなるともう断っても聞いてくれないかなと感じ、素直に「じゃあ牛鍋食べに行きたい」と言った。亜双義が「それくらいからが妥当か」と呟き勢いよく頷く。何だかよくわからないが正直内心でとてつもなく喜んでしまった。やった、牛鍋だ。これなら唇のひとつやふたつ捧げてもむしろお釣りが返ってくる勢いである。悪いなと告げると、亜双義は先刻よりはまだ赤みの引いた顔をこちらに向けて言った。
「ヒトツ言っておくが。婚前交渉は受け入れられぬので、そのつもりでいてもらうぞ」
「は?」


お題たぶん「最弱の事故」でした

主喜多(P5)

水が地面を打つ音が身近に聞こえてきた。最初はまばらだったそれは少しずつ間隔を狭めていき、今ではざあざあと騒がしく降りしきる。どこか遠い意識の中でそれを聞いていると、不意にからからと別の音がして、水音はいったん止んだ。ゆっくり瞼を開けると、灰色にくすんだ窓の近くに人影が立っている。
「ああ」
耳に心地の良い、新たな音が頬を撫でた。まだぼやける視界をよく凝らしてみると、その男は彫刻のような指を窓に掛けていた。成る程、雨が降ってきたから窓を閉めてくれたんだろう。妙に不思議な感覚だった。この男が俺を慮って、俺の為に理屈を駆使したのだと思うと、それだけで何故か心臓が小さく丸められるような思いがした。
「おはよう」
くるりとこちらに振り返ろうとする男に、振り向くなという想いと早くこちらを向けという想いが交錯する。斜め後ろから見る喜多川祐介があまりに美しかったのだ。けれど、その真っ直ぐな眼差しは早くこちらに向けて欲しかった。下手な詩みたいだ。この男に会ってから、俺は芸術というものを意識しすぎているのかも知れない。
けれどそれも仕方がなかった。振り返った男の小刻みに揺れる青や、瞬きとともに存在感を放つ睫毛、通った鼻と薄い唇、何よりその魂の気高さを今日もこう正面から見せつけられては、この男の愛するものを肯定する他はなくなってしまう。
「……おはよう」
祈るようにそう返した。この男の感性の五指になりたい。そんな、途方もない事すら考えてしまった。

ベルニコ未完(TOB)

「ねえベルベット。あんたお嫁に行く予定ないの?」
「見てのとおりよ。ニコはないの?いい雰囲気になってる人、いるじゃない」
「んー、なんかさあ。もうちょっと遊んでたい気もするっていうか」
「うわ、リアルな愚痴だ」
「今はあんたがいるからいいかな?みたいな」
「あたしとは結婚できないわよ」
「ねー。残念」

祠に行かなきゃ、と、漠然と思う。特に用事なんかないはずなのに、どうしてかこの道の向こうがずっと気になっている。しっかりと閉ざされた扉に手を当て、どうしてそう思うのかをじっと考えた。
「あ、ベルベット!」
後ろからニコの声がする。振り返ると、頬をふくらませて眉を上げながら彼女があたしを睨んでいた。せっかくの可愛い顔が台無しだ。
「ダメだよ、向こう行っちゃ!一人そこ通ったら聖寮に叱られるのあたしたち全員なんだからね」
「ああ、ごめんごめん」
扉から手を離してニコに笑いかける。

龍アソ未完(大逆裁)

酒をしこたまかっくらい、もう右も左も正も誤もあやふやになってきた午前壱時、亜双義の部屋。ぼくはただひたすら気持ちが良く体がふわふわと浮かんで、箸が転がるだけで数分は大笑いしていた。脳の細胞がどんどん眠りについていっているような感覚がある。ああ酔っているなあと自覚することはできているのだが、だからと言ってこの異様な楽しさが消えることはなかった。向かいの亜双義のハチマキがたなびいている。面白い。
「成歩堂。キサマ、聞いているのか?オレは至極真面目な話をしているんだぞ」
亜双義は鬼のような剣幕でぼくが持ち込んだダルマさんに話しかけていた。まったく顔に出ていないがコイツも相当酔っている。「キサマは本当にこぢんまりとしているな」っておまえの中でのぼくの寸法はどれだけはちゃめちゃなのだろうか?目の前の光景を肴にまた一杯酒をあおり、美味しいなあと嘆息する。ううん、しかしツマミを初めのほうで平らげてしまったのは確実に失敗だった。酒だけではやはり口が寂しい。亜双義のヤツときたらなかなかの呑み助なのだから、もう少し多く用意しておけばよかったな。
「……おい!キサマ、まったく聞いていないだろう!」
亜双義が怒りを乗せた声でダルマさんを揺さぶる。そっちのぼくもこっちのぼくも亜双義の話をまったく聞いていなかった。ごめん何だっけ、と声をかけると亜双義は不思議そうにぼくのほうに振り返りダルマさんとぼくを見比べる。そして『キサマが本体か』と呟いたあと膝立ちでこちらに向かってきた。
「だから、先刻から何度も言っているようにだ。オレはキサマという男を愛している。先の弁論大会でのキサマの居姿にすっかり心を奪われたというわけだ!よもや男相手にこんな感情を抱くとは、と最初は驚いたものだが、キサマのことを考える時間が日に日に長くなり始め、ついには夜の……」
その後もなんだかべらべら喋っていたが正直二言目ぐらいから先はあんまり聞いていなかった。たぶん雰囲気的にぼくは褒められているのだろう。まったくコイツと来たらいつもそうぼくを過大評価してくれるので、光栄というか恐縮というか、くすぐったい気持ちになってしまうのである。へへ、と頭を掻くと、亜双義がぼくの肩をがしりと掴んだ。
「……つまりだ成歩堂。オレはキサマとまぐわいたい。強いては性交と洒落こみたいのだが構わんな?」


よいどれペッティングが書きたかったらしい
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