亜双義一真は生きていた。助かる見込みなど有りはしなかった筈なのに、奇跡的にも息を吹き返したのだ。アイツは殺人事件なんて存在しなかったかのような振る舞いで、いつもどおりにぼくの名前を呼んだ。「成歩堂」と象られた言葉の輪郭が随分懐かしく思えて、だからだろうか、違和感ばかりがぼくの胸を襲った。
乗船を正式に許可されたぼくは、ただし新たな部屋を用意することはできないという至極当たり前の条件を言い渡された結果、一等船室での亜双義との日々を再開させていた。もう身を隠す心配もないので今は男二人、同じ寝台で身を寄せあって眠っている。おまえの部屋なのだし引き続き洋箪笥で眠るよとは宣言したのだが、亜双義はそれを良しとはしてくれなかった。「もし本当にオレが居なくなった時もここで眠れよ」なんて不吉な話をひとつする。止めてくれよ、おまえはこうして生きているのに。
「成歩堂、まだ眠らないのか」
「うん」
眠れないんだと言うとそうかとだけ返ってくる。目の前にある眼差しは一筋にぼくを見ていた。迷いや曇りなど一点もない目をしている。果たしてそんなに澄んでいただろうか。
「明日も朝早くから司法の勉強をするんだろう。少しでも寝ておかないと辛いぞ」
「そうだな」
答えながら、けれど疑問が胸に下りてくる。どうしてぼくは司法の勉強なんてしていたのだったか。おまえが生きているのに、ぼくが弁護士になる必要などないのではないか?しかし亜双義は当たり前のようにぼくが弁護士になることを待ち望んでいるようだった。何かがちぐはぐだ、でも指摘だなんて恐ろしいことは、今のぼくには出来やしない。二度も失いたくはない。
亜双義がぼくの頬をそうっと撫でた。子をあやすような優しい手つきは、ぼくへのいとおしさのようなものを隠そうとはしていなかった。その手に自分のものを重ねて、亜双義、と名を呼んでみせる。
「おまえは存在しているよな」
「……何を妙なことを。今、此処にいるだろう」
「そうだよな、それが正しいんだよな」
「正しいさ」
微笑みとともにそう返される。安心していいはずだった。けれど不安はぼくの頭を去りはせず、どうしようもなく恐ろしくなる。亜双義の胸に顔を埋めると頭上からは笑い声が降った。この船は英国に着く。亜双義はぼくを引き連れて司法を学び、ぼくは新たな文化に触れられるのだ。そんな未来が確実に約束されているはずなのに、どうしてぼくはそれを想像することができないのだろうか。なあぼくたちは、本当に正しいのか?
「倫敦でも西洋舞踏が観られればいいな。成歩堂、ニコミナ・ボルシビッチという少女を知っているか?…………」


バグった大逆転