どこからか声が聞こえる。おそらくこの扉の向こうから、ふたりぶんのそれが聞こえてくる。ひとりは誰だかわからないけれど、もうひとりは誰だかわかっていた。このぼくの耳にすとんと落ちてくる優しげな声音。亜双義に違いない。まるで子守唄のように響くそれは、ぼんやりとした頭を安らげるかのように紡がれつづけていた。好きだなあ、あいつの声。どんな時でも凛としていて、聴いていると落ち着く。いや、否応なく落ち着かされる。そういう強引さが、好きだ。言ったら変な目で見られそうだし、すごく恥ずかしいから言わないけれど。外ではつらつらと会話が続けられている。少し時間がかかっているようだ。果たしていったい誰なのだろう。どこか他人行儀に敬語を使っているから、御琴羽教授のお嬢さん……寿沙都さんではない誰かか。その丁寧な口調を聴いていると、ぼくの頭はより靄に捕らえられた。もう一度眠ろう。亜双義の声を、子守唄代わりに。そうしてぼくは目を閉じた。
その日見た夢では、亜双義がぼく以外の誰かとずっと話をしていた。相手の顔は見えない。亜双義はまるでぼくと話すときのように穏やかな顔をしていた。ぼくは何度も亜双義の名前を呼ぶのだが、亜双義は一向にぼくの声に気がつかない。そのとき不意に、いやだなと思った。思ってしまった。ただの単純な感情ならばよかったのだが、おそらくそうではない。どうしてだろう、そう確信していた。朝起きて、まず一番に後悔した。