大逆裁※ネタバレあり


(ホムアイ)
ホームズくん、とボクを呼ぶ彼女は夕陽を浴びてオレンジに輝いた。その瞳は今日も正確にボクを定める。なんだいと返事をすると、彼女は部屋の墨で光沢を放つボクの十八番を指差しながら「弾いて」と一言口にした。にっこりと微笑みながら。ボクは頭に浮かんだ一言を彼女に告げようとして、すぐにそれを取り止める。代わりに「お望みとあらば」と恭しく頭を下げた。
演奏を聞きながら、アイリスはうっとりと目を細める。そのまつげが控えめに揺れるのを、ボクは静かに見つめていた。永遠なんて信じちゃいないが、ああ、案外こういう時間の中にヒントは隠されているのかもしれない。そんな似つかわしくない思考を、だらりとぶら下げる。


(龍ノ介)
じわじわと後悔がぼくの首を這っていく。もう戻ることなどできないのに、ぼくは両手を組んで何かに祈りそうになってしまう。依頼人を信じるのが弁護士だと、あの赤は確かに言った。その言葉はとてつもない力を放っていた。そのはずなのに。ぼくは、わからなくなってしまっている。ぼくが自分で見定めるべきであるはずの、「ぼくの正義」とはいったいなんなのだろう。ぼくはこれから、絶対的信頼をきちんと相手に向けられるのだろうか。あの日の、あいつのように。寿沙都さんはただゆるやかに、ぼくの心の決まるのを待ってくれている。彼女のためにも、ぼくはこれから歩いてゆかねばならない。けれど、でも、ぼくはわからないのだ。もやもやと気持ちが曇る。コゼニー・メグンダル。おそらくぼくはその名を一生忘れない。ああ、ぼくは間違っていたのか?ああ、……ああ!亜双義!ぼくは本当に、おまえの意志を引き継げているのか!


(龍アソ)
カチャカチャと食器がぶつかる音が響く。ぼくはそれをなんだか耳障りに感じていた。前はこうではなかった。この音を心地好いとさえ思っていた気がする。肉をふたつに切って、フォークでひとつを貫く。持ち上げて口に持っていくとき、誰かの声が聞こえた気がした。
「行儀が悪いぞ、成歩堂」
「もう少し小さく切って食え」
なんだよ。記憶の中に引っ込んでまで、ぼくに注意してくるのか。そうするぐらいなら直接ここに来て言えばいいじゃないか。
そう呟いてももちろん亜双義はぼくの前には現れない。当然だ。亜双義はもういない。ぼくが殺したも同然だ。
肉を咀嚼するたび、どうしようもない後悔の念ばかりが染みだした。ぼくは行儀よく食べる方法など知らない。だから、この涙を止める術だってもちろん知らないのだ。両手におさめられた銀色は、優しげに微笑む記憶の中の赤を映す。


(龍ノ介+亜双義)
生まれ変わったら何になろうかな。つい先日自分の嫁となった女性を胸にかき抱きながら、ふとそんなことを考える。生まれ変わっても、たぶんぼくはこの人と結婚するだろう。そしてこの人との間にできた子供を育てて、毎日楽しく笑っているのだろう。つまるところ、生まれ変わっても今とほとんど変わらぬ人生を歩んでいくだろうと、ぼくはそう思う。それと、弁護士には確実になる。人差し指を突きつけて、いつものあの台詞を高らかに叫ぶはずだ。証人を信じていばらの道を突き進んでいく、心の休まらない人生をずっと歩んでいく。もういっそ、誇らしいほどに。あとは、……あとは。
「成歩堂」
あの鮮烈な赤。たぶん、生まれ変わっても、ぼくはあれに惹かれる。どう足掻いても逃げられないあの光に足をとられ、おそらく幸福に微笑んでいる。たぶんそれを理由に、ぼくは生まれる。あいつがぼくを、『相棒』と呼ぶかぎりは。さて、なんて光を掴んだのだろう。
ぼくは微笑みながら。妻をぎゅうと抱きしめる。妻はすべてわかったような顔をして、ぼくの背中に腕を回した。


TOX2


(ユリルド)
思えば俺は何人の俺を殺してここに立っているのだろう。俺だけじゃなく、兄さんも。いったい何人の亡骸の上で笑っているのだろう。ときおりそんな考えても仕方のないことを深く考え込んでしまう。けれどその俺が殺してきたすべての可能性としての俺に罪悪感など持ったところで、俺はその座を誰にも譲る気などなかった。
「ルドガー」
不意に兄さんが俺を呼ぶ。「柄にもなく考え事か?」
「……柄にもなくってなんだよ」
「はは、睨むなよ」
「まったく……」
仕方がないのだ。俺は兄さんと過ごすこの平穏を愛している。この日常のためならば、いくら『俺』の亡骸を積もうが構いやしないのだ。たとえその亡骸の山の中に、いつか俺が積まれようとも。その時までこの時間を幸福に過ごせるのならば、それで充分だ。そう思いながら目を閉じればどこかの俺が悲しげな目で俺を見ている。