龍ノ介とカズワン(大逆裁)

ある朝成歩堂が首輪を買ってきた。つまりオレは犬で、犬としてコイツに飼われる生涯が決定したということだった。ああ、相棒だ親友だと言っておいてこの男、結局はオレの存在を定義したがるのか。そう思い真夜中に成歩堂の家を飛び出したのが、もう3日も前になる。
出来る限りの見聞は怠らなかった成果なのか、最低限度の食にありつく知識はあった。満腹にはならずとも、死にはしないであろう程度にはやっていける。このまま野良にでもなるか、などと考えながら一人苦笑した。雀が目の前を呑気に横切っていく。誰かに餌でももらっているのだろう、警戒心というものが著しく足りていない。鳥か。……見逃す他ない。
そもそもの話として、成歩堂にオレの存在を定義するなどという思考すら有るはずはないのだった。お手ともおすわりとも命令しないあの男のオレとの目線の合わせかたは一等好いていたが、それでも。完璧に揃うはずなどない。種族が違い、言語は通じない。愛しているとオレが伝えたとき、あの男は何と言った?

『ん?何だよ、カズワン』
『もうおなかすいたのか?』

昨日からの曇天はついに雨粒となってオレの頬を打ちつけた。寒風すら伴った乱暴なそれは否応なく自らの内側を沈みこませにくる。もしこのまま死ねばお笑い種だ。死体を見られずに済んで、良かったのかもしれない。当てもなくたどり着いた先の古びた家屋の前に腰を据える。頭上から絶えず滴り落ちる水滴がいつまでも目前を通過していった。肉球がぬるりと滑る。馬鹿馬鹿しい。曇天に唾でも飛ばしてやりたい心持ちになる。
こんなはずではなかった。
そう胸中で吐き捨てた瞬間、落下を続けていた雨の音の質が変わった。鈍い音が聞こえるとともに、視界に黒が立ちはだかる。上を見たくはなかった。しかし無視を決め込むには、オレにはまだこの男の親友であり相棒であるという思いが捨てきれてはいなかった。仕方なく、上を向いてやる。男は先刻の首輪を手に持ち、ずぶ濡れの服を気にも留めない様子でオレを見下ろしていた。息は切れ、肩が大きく上下している。どうしてこうも遅いのだ、コイツは。
「ぼくのわがままだ」
「わかってるんだ。全部ぼくの、わがままだ」
その表情の中の水滴、もはや雨なのか涙なのか。拭ってやりたいがそれすら出来ない。顔色があまり良くないので、風邪でも引いたのではないかと気掛かりになった。
わがまま、と男は言うが、そういうことではないと、もう何度も言っている。伝わった試しは無いが。成歩堂は懺悔にでも来たかのような顔をしている。踏み絵でも踏んだかキリシタン。嗚呼、馬鹿も休み休み、だ。
「それでもおまえがいつか何処かに行ってしまうのではないかって、ぼくは」
「どうしても怖くて……」
声を存分に震わせ、男は言った。ーー瞬間、つい、立ち上がる。男は、親友は泣いていた。顔をくしゃくしゃにして、あたたかい雨をぽたりと地面に染み込ませている。その言葉は涙とともにぼつぼつと溢れる。
「おまえも知っているとおり、ぼくは勝手だ。勝手なんだ」
「おまえを傍に置いておかなくちゃならないんだ」
「ぼくはおまえの最期を看取りたい」
厚い雲から、ほんの一瞬、光が見えた。しかしそれはすぐさまぴしゃりと閉ざされ、またしても暗雲があたりに満ちる。本当にこの男が懺悔に訪れた意志薄弱な似非キリシタンならどれ程良かっただろうか。早鐘を打ち鳴らす心臓が、同時に冷えた手で握り潰されようとしていた。
「なあ。ぼくはこれから、おまえのことをどう呼べばいいんだ」
言って、成歩堂は言葉を終えた。後は湿った瞳でただ哀しげにオレを見ている。強く握りすぎていびつに形を変えた首輪をなお歪めて、オレを見ている。はっきりと提示された未来とその先の終着点を前に、最早絶望にも近い悦びが産まれている。こうなろうとして出ていった訳ではなかった。当たり前だった。しかしこの男はきっとずっとオレの言葉を汲み取っていて、オレの親友かつ相棒であろうとしていた。オレが思っている以上に、オレの存在は曖昧だったのだ。終わりだ、永遠に。彼岸まで続く水平線が瞼の裏にはっきりと見え、思わず笑った。
成歩堂の傍に寄り、その顔を静かに見上げる。奴はじっとオレを見つめた後、ゆっくりと微笑んだ。雨は止んでいない。
「帰ろうか」
帰ればオレはこのぼろぼろの首輪を付けて、また犬の名で呼ばれる。オレはきっともう抵抗しない。何処にも行きはしない。……もうオレ達は確実に、二人で終われるのだ。


自分が首輪をつけることはのすけに首輪をつけるのと同等の意味ってことに気づいてウキウキ絶望なカズワンの話でした
診断メーカーさんのお題で首輪って出たから乗るしかないこのビッグウェーブにと思った

龍アソ(大逆裁)

「オレはキサマのことを友情以外の感情で見ている節があるかも知れん」
おまえが突然そう切り出してきたのは、果たしていつのことだったか。確か、去年の春くらいだったっけ。いつもどおり二人で牛鍋をつついている最中に、すこし暗い色を瞳に宿しながら言われたことは確かに覚えている。ぼくは言葉の意図が汲み取れず、え、と小さく声をあげた。
「……友情以外って?」
「………」
亜双義は返事をしなかった。どうにも亜双義らしくない様子だったので、ぼくは妙に不安になった。友情以外の感情とは果たしてなんなのか。そのときは皆目見当がつかなかった。ただ、一度ぼくの目を見た亜双義の拳が強く握られたことには、気づいていた。
「……すまない、おかしなことを言った。忘れてくれ、親友」
亜双義はそう言ったあと、いつものように憂国論議を持ち出した。なんだかよくわからないけれど、いつもの亜双義に戻ったらしい。そう判断してぼくもまた論議へ花を咲かせたのだ。
ああ亜双義。去年のおまえの言おうとしていたことを、ぼくはようやく知ったらしい。おまえがどんな想いで拳を握り締めていたのか、どんな想いでぼくを『親友』と呼んだのか。この刀と腕章を受け継いで、この異国の地に降り立って、世界を見つめて。ぼくはついに理解したのか。おまえの死から幾ばくか過ぎて、ようやく。
「……成歩堂さま」
洋箪笥の扉を開けて、寿沙都さんが眉を下げながらぼくに笑いかける。そうだ。ぼくはもう、密航者ではないのだった。狭く暗い部屋から抜け出して、眩しすぎる光を浴びる。亜双義一真はぼくの『親友』だった。ぼくは『親友』の遺志を継いで、これから前に進んでいく。それがぼくとアイツの『友情』なのだ。……そうだろう、亜双義。あの時おまえは決めたのだ。ぼくだって今、こう決めていいのだろう。
「寿沙都さん」
今日もご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いします。そう言うと彼女はゆっくりと微笑んで、承りました、と一言返してくれる。寿沙都さんの指導は、彼女の言葉通り厳しいものだった。けれど苦ではない。苦だなんて感じていられる程の時間はもうない。ぼくは身を粉にする想いで今日も分厚い本と対峙する。胸の痛みには蓋をしておく。おまえの親友として、ぼくはきちんと生きてゆきたいのだ。あの時、もし意味を汲み取れていたら。自分の気持ちにすぐに気づいていれば。そんな思考は今は丸めて底に沈めておけばいいのだろう。なあ、亜双義。ぼくはこれから何年経とうと、死ぬまでおまえの親友なのだ。ずっと、死ぬまで。だってそれがおまえの遺志なのだから。


お題「去年の馬鹿」でした
お題に添えてない感すごE
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