「パレスにいるときの明智の仕草ってさ、なんかどれも見たことない?」
発端は杏の一言だった。明智がよくするキザなポーズや動きが何故か懐かしく感じる、と杏は不思議そうに続けて、竜司もその言葉に共感を覚えた様子で「わかるわ」と呟きながら頬をかく。
「なんかこう、ガキの頃に見た気がすんだよな」
「そうそう。たぶんテレビか何かで……」
二人が首を傾げながら記憶の糸を手繰り寄せ始めたとき、ふとパソコンのキーボードをタイピングする音が止まった。視線をやると双葉が「ほい」と言ってモニターをこっちに向けてくる。そこにはあるひとつの動画が表示されていて、双葉が再生ボタンを押すと聞き覚えのある元気な声が屋根裏に響いた。杏と竜司があーっと声をあげて画面を指差す。
「これだこれ!フェザーマン!」
「超なつかしい!ピンク好きだったんだよね」
「ちなみに明智が一番意識してるのはNEOのレッドのポーズな」
双葉のさすがの知識に二人が「へえ」と声をあげる。フェザーマンは俺も昔よく見ていた。ポーズもずいぶん真似したし、当時クラス中のみんなが持っていた変身グッズを母親にねだったりもしたものだった。
「でもなんか意外。あの人もこういうの見てたんだ」
双葉がオススメだと言う歴代変身シーン集を夢中で見ている竜司の横で杏が呟く。フェザーマンをあまり知らないらしく端で様子を眺めていた真が「そうね」と呟いた。
「彼もさすがに昔は普通の子供だったのかしら」
「すごく好きだったんだろうね。今でもヒーローの真似するなんて」
春の言葉にそれぞれが頷く。しかし、あの明智にもそういう純粋な子供時代があったというのはなんだか妙に不思議だった。あの人もヒーローの活躍に泣いて笑って、自分もいつかヒーローになるのだと胸に志したことがあったのだろうか。何度想像しようとしてもまったく子供時代のあの人が頭に思い描けず、しまいには諦めてかぶりを振る。やがて祐介が新発売のじゃがりこを手に屋根裏にやって来たことで話題はそっちにシフトしてしまい、明智のことはそのまま頭の隅に追いやってしまった。

「あれ、偶然だね」
空き缶が鉄のゴミ箱の奥に落ちる音とほぼ同時に明智はそう言った。駅に落ちていたゴミをゴミ箱に捨てる大人気イケメン名探偵、絵面としては完璧だな。なんて少し下世話なことを考えながらゆっくりと頷く。明智に出会ったのは本当に偶然だった。会おうとして会ったわけじゃないし、尾けられていたわけでもないと思う。警戒を解くなよと鞄の中のモルガナが俺にぼそりと囁いた。目の前の男はにこにこと人の良さそうな作り笑いを惜しげもなくこっちに振りまくが、夕日がその大半を逆光で隠している。
「学校帰り?」
「ああ。明智も?」
「うん。でもこれからまた雑誌の取材に行かなくちゃならないんだ」
「……忙しいんだな」
当たり障りのない会話はどこか空虚に耳に響く。向こうも同じことを思っているだろうか。明智は腕時計をちらと見やってから次の電車まで少し時間があると呟いた。その後近くの自動販売機まで歩いていったかと思えば俺にくるりと振り向く。
「何か飲む?奢るよ」
「えっ、いや……俺はいい」
「遠慮しないで。いちおう君よりお兄さんなんだからさ、たまには年上面させてよ」
「一個しか違わないだろ」
「それでも上は上だよ。さあ!何がいい?」
まったく引く様子を見せない爽やかな微笑みが俺の顔にぐさぐさと突き刺さる。恐らくこれ以上何を言っても最終的には奢られるのだろうと察し、少し逡巡したあとに「微糖のコーヒー」とだけ返した。了解、と楽しげに応える奴の指は黒手袋越しに自販機のボタンを押す。ガコンと音を立てて落ちたそれを俺に手渡すと、続いて機械に硬貨を入れた明智はブラックコーヒーを買った。
「……ありがとう」
俺の横に来てさっそくコーヒーを口にしている明智にそう言うと、奴は上機嫌そうに口角を上げたまま「どういたしまして」と言葉を紡ぐ。微糖は飲んでみると想像以上に砂糖が入っていたが美味しかった。
「うん、おいしい。けど君のところのコーヒーがやっぱりいちばんかな」
明智は零すようにそう呟いたが本心なのかはわからない。今のこいつの態度と言葉は『その時』までを安泰に暮らすためのただの道具だ。いくら耳触りのいいことを言っても、それは俺を喜ばせようという意識の中からのセリフに過ぎないはずだ。この男は本当はどういう言葉で喋るのだろう。獅童との電話も核心には近いだろうが、明らかに本質ではなかった。
『でもなんか意外。あの人もこういうの見てたんだ』
ふと杏の言葉が脳裏をよぎった。今俺たちを騙して陥れようとしているこの男も、昔は正義の隣人だった。ヒーローに憧れ、正義は悪を滅ぼすと謳っていたはずだ。明智の正義は今もその体の中に存在しているのだろうか?
「どうしたの?ぼーっとしてるね」
声を掛けられてようやく我に返る。慌てて「悪い」と呟き取り繕うための笑顔を浮かべた。きっとヘタな笑顔だったから何かを見透かされていないかと少し不安になる。明智は特になんの感情も見せず、ただ愛想だけをこちらに見せた。
「作戦、頑張ろうね」
「……ああ」
「僕たちで正義を守ろう」
そう言った明智は今までの笑顔を消し、ひどく真面目な表情をして俺を見る。その瞳の奥には確かな光が点っていた。音として生まれた正義の三文字が耳に残る。俺には今この男が嘘をついているようには見えないが、それは俺がまだまだ真贋を見分けられない子供だからなのだろうか。
「付き合わせちゃってごめんね。そろそろ行くよ」
腕時計を一瞥したあと、明智はさっきと声のトーンを大きく変えて明るくそう発した。じゃあまた、と手を振り踵を返すその体に向けて返事をする。夕陽に染まり橙色になった男の背中が遠くなっていくのをずっと見ていた。


明智吾郎は死んだ。それはたぶん正義に所以する死だった。最後の瞬間、あいつの瞳には煌々と信念の炎が燃え上がっていた。ストーブの中で鈍く閃く火にその光景を見る。そばで橙に光る自分の手はあの日の明智の背中を思い起こさせた。
正義は明智を二度殺した。一度目は父親に、二度目は俺に。けれど、正義なくして明智は生きることが出来たのだろうか?テレビをつけると戦隊ヒーローが悪と戦っていた。今日は日曜日だ。子供の多くはこれを見て育って、正義という大義に憧れる。明智の両の手には泥と花が握られていたのだ。あの日、落ちていた空き缶をゴミ箱に捨てたのだってきっとあいつの正義だったし、正義という言葉を軽々と使わなかったところにもあいつ自身の正義が込められていた。あいつですら気づいていなかったそういう本能の部分が俺は無意識に好きだったのかも知れない。相手がいなくなってからそれが分かってしまった。
「お前、こういうの好きだったのか?」
布団で丸まっていたモルガナがぼうっとテレビを見ていた俺に話しかけてくる。うん、と答えてから笑った。
「今も好きなんだ」
「へー。まあいいんじゃないか?」
「うん」
正義だなんだと言ってきたけど、明智のことが気になったのはもっと単純で俗っぽい理由だった。あいつもこういうの見るんだ、俺も見てた。なんか可愛いなって。……お前は呆れるだろうな。