「君、ちょっといいかな?」
振り向いた男子高校生の睫毛の淵が震える。怯えさせてしまっただろうか?いや、出来うる限り紳士然とした言い方を心がけられていたはずだ。
癖の強い黒髪、長い前髪にも関わらずさらに隠すように付けられた大きめの眼鏡の下で、こちらを見定めるような双鉾が動く。射貫くように私を見ている。猫のような少年だと思った。
「急に声をかけて済まなかったね。私はとある芸能事務所の者だ。まあこれはスカウトみたいなものだね」
名乗ろうとも彼が纏う警戒の色は薄まらない。むしろ、より濃くなったようにも見える。いちおうきちんとした身なりをしているつもりなんだが、やはり胡散臭いだろうか。
胸元から名刺を取りだし彼に渡そうとすると、閉じられていたその口がふいに開いた。
「何が目的でしょうか」
想像よりも低い声にさらに関心を抱いたが、問題は声ではなく内容だ。何が目的だ、だなんて凄い子供だ。警戒心を隠そうともしない。
別に私は彼が思うような怪しい輩ではない。ただ嘘はついている。彼はモデルに推すには随分地味だ。売れることはないだろう。ーー彼の魅力は分かるものにしか分からない。だからこれは、スカウトを口実にしたいわゆるナンパだ。……そう思うと、彼の思うとおり私は怪しい輩なのかも知れない。
「君と少し話がしたいんだが、お茶でもどうだろうか」
名刺を差し出し微笑む。彼は私の手をじっと見ていた。その目だ、それが良いと思う。私はその目に奥まで見定められたいのだ。
初めて彼を見たのは満員電車の中だった。彼は鞄をしっかりと抱きかかえ、一つの場所で縮こまっていた。抑圧や辛抱という言葉の似合う様子の彼は、何かに強く憤っている風に見えた。やけに反抗的な眼差しは彼を構成する他の全てとちぐはぐで、私は目が離せなくなってしまった。
それからだ、私は毎日彼のことをバレないように見つめていた。そして今日、ついにこうして声をかけるに至った。彼が泥のような目で私を見ている。大人しそうなその容姿からは想像もつかない程凶暴な瞳は、やはり私の胸を打った。間近で見るとますます分かる。
「すみません、遅刻するので」
やがて二人の間の静寂を打ち破り、彼はそう呟いた。ふいと後ろを向いて歩き出してしまう。追いかけようかと思ったが、鞄の中から急に猫が顔を出してこちらを威嚇したのに面食らい足を止めてしまった。それに、彼は全身すべてで私を拒絶していた。
私は押し寄せる後悔にじっと耐えていた。分かっていたことだ。彼に認識してもらいたいなどと考えることのおこがましさなど。それにこれではまるで犯罪だ。けれどそれでも、私は彼の視線を浴びたかった。きっとあの目に、すべて盗まれてしまったのだろう。
「おいリーダー、不気味な男だったな今の奴。警察の関係者じゃないよな?」
「うん、多分違う」
「何だったんだろうな」