モブぺご(P5)

「君、ちょっといいかな?」
振り向いた男子高校生の睫毛の淵が震える。怯えさせてしまっただろうか?いや、出来うる限り紳士然とした言い方を心がけられていたはずだ。
癖の強い黒髪、長い前髪にも関わらずさらに隠すように付けられた大きめの眼鏡の下で、こちらを見定めるような双鉾が動く。射貫くように私を見ている。猫のような少年だと思った。
「急に声をかけて済まなかったね。私はとある芸能事務所の者だ。まあこれはスカウトみたいなものだね」
名乗ろうとも彼が纏う警戒の色は薄まらない。むしろ、より濃くなったようにも見える。いちおうきちんとした身なりをしているつもりなんだが、やはり胡散臭いだろうか。
胸元から名刺を取りだし彼に渡そうとすると、閉じられていたその口がふいに開いた。
「何が目的でしょうか」
想像よりも低い声にさらに関心を抱いたが、問題は声ではなく内容だ。何が目的だ、だなんて凄い子供だ。警戒心を隠そうともしない。
別に私は彼が思うような怪しい輩ではない。ただ嘘はついている。彼はモデルに推すには随分地味だ。売れることはないだろう。ーー彼の魅力は分かるものにしか分からない。だからこれは、スカウトを口実にしたいわゆるナンパだ。……そう思うと、彼の思うとおり私は怪しい輩なのかも知れない。
「君と少し話がしたいんだが、お茶でもどうだろうか」
名刺を差し出し微笑む。彼は私の手をじっと見ていた。その目だ、それが良いと思う。私はその目に奥まで見定められたいのだ。
初めて彼を見たのは満員電車の中だった。彼は鞄をしっかりと抱きかかえ、一つの場所で縮こまっていた。抑圧や辛抱という言葉の似合う様子の彼は、何かに強く憤っている風に見えた。やけに反抗的な眼差しは彼を構成する他の全てとちぐはぐで、私は目が離せなくなってしまった。
それからだ、私は毎日彼のことをバレないように見つめていた。そして今日、ついにこうして声をかけるに至った。彼が泥のような目で私を見ている。大人しそうなその容姿からは想像もつかない程凶暴な瞳は、やはり私の胸を打った。間近で見るとますます分かる。
「すみません、遅刻するので」
やがて二人の間の静寂を打ち破り、彼はそう呟いた。ふいと後ろを向いて歩き出してしまう。追いかけようかと思ったが、鞄の中から急に猫が顔を出してこちらを威嚇したのに面食らい足を止めてしまった。それに、彼は全身すべてで私を拒絶していた。
私は押し寄せる後悔にじっと耐えていた。分かっていたことだ。彼に認識してもらいたいなどと考えることのおこがましさなど。それにこれではまるで犯罪だ。けれどそれでも、私は彼の視線を浴びたかった。きっとあの目に、すべて盗まれてしまったのだろう。
「おいリーダー、不気味な男だったな今の奴。警察の関係者じゃないよな?」
「うん、多分違う」
「何だったんだろうな」

主喜多未完(P5)

結局、怪盗団は班目一流斎を改心することはなかった。彼の個展は見事成功を収め、たくさんのテレビ局が彼の作品の多様性・独創性を様々な形で褒め称えていた。杏と竜司には個展終了の日以降顔を合わせてはいない。勿論、祐介にも。あれから一度も会ってはいなかった。
夏も終わり掛けに差し掛かったある日、例のあばら屋の前に立つ。きっとここにはまだ班目と祐介が住んでいるのだろう。以前と何一つ変わることなく、当たり前のように。班目は祐介を養い、祐介を殺している。すべて理解したうえで、チャイムを深く押し込んだ。しばらくの間のあと、引き戸が慎重に開かれる。少し青みがかった髪、線の細い体。ああ良かった、目当ての男だ。
「どちら様で、……!」
祐介はひゅうっと息を吸い込み、目を大きく見開いた。すぐさま戸を閉めようとしてので、手を差し込んでそれを食い止める。おぞましい物でも見るかのようなその瞳、とても素直でいい。
「今更何をしに来た!」
「決まってるだろう、宝を盗みに来たんだ」
「戯言を!お前は宝を盗まなかった、……何も変えようとしなかった!」
絶叫のような祐介の声が住宅街に響く。様子からして班目は家にいないのだろう。女を住まわせている別荘にでも遊びに行っているのかもしれない。そしてきっと祐介もそれを知っている。
「祐介、聞いてくれ」
「消えろ、俺の目の前から!」
喚く祐介の手を強く握る。祐介の体がびくついたのがはっきりと分かった。
初めてその姿を目にした時から決めていた。俺はこの男の作品になろう、そうして生涯を終えようと。この日をずっと待ち望んでいた。そのために仲間も、祐介も見捨てた。けれどお前はこれから俺が掬うのだ。

主モナ未完(P5)

真夜中、傍らに置いたスマホがブブブと振動した。浅い眠りから覚め、スマホを手に取り電源ボタンを押す。脇で眠っていたモルガナもスマホの明かりで起きてしまったようだった。
「何だよ、こんな夜中に」
確認するとチャットが一件入っている。明日どこかに行こうという、ストレートに言えばデートの誘いだった。明日は確か誰との約束もなかったはず、と了承の旨の文字を打つ。いざ送信というところで急にモルガナが勢いよく起き上がった。
「は!?オマエ忘れてんのか!」
「えっ、何が」
「明日はワガハイのブラッシングをするって前から言ってただろーが!」
毛を逆立てるモルガナを前に必死で記憶を探る。そういえばこの前、寝る直前にそんなことを言われたような気がする。あの日はジムに行った後で疲れから倒れるように眠ってしまったのであまり覚えていなかった。
「ごめん、約束してたな。……覚えてないけど」
「覚えとけよ!」
べしんと叩かれたが痛くはなかった。そういえばモルガナに爪を立てられたことってないな、優しいな。

主明(P5)

明智吾郎は死んだ。死んだ?そんなバカな!明智吾郎は生きている。あいつは大罪人だ、のうのうと死ねていいはずがないだろう!今日もきっとまたルブランに現れて、きっちりと貼りつけた仮面でこんばんはと俺に話しかけるのだ。俺を騙しながら、騙されているなどと知らないまま。明智、ああ明智、誰も彼も愚かだ。俺達は全員犯罪者で、誰も誰かの罪を責められはしない。けれど死んでしまったとなれば話は別だ。お前は罪から、俺から逃げたのだ。だって死だなんて一等安易な救いじゃないか。
目を閉じてまた開くと、目の前に明智吾郎が立っていた。微笑を湛えながら、しかし目は笑っていない。俺の認知の明智吾郎だ。俺は明智の前へと走って、その細い体を突き飛ばした。尻餅をつく明智に跨がり胸ぐらを掴む。
「償え」
「償え!」
「償ってから死ね!」
大声でそう叫ぶと白い空間に俺の声ががんがんと反響した。明智は得意の薄っぺらい笑みを消して、無表情に俺を見る。首でも絞めてしまいたかったが、殺してしまえば意味がない。この男は大罪人で、今までの罪人達のようにこれから死ぬよりも辛い罰を受けなければならなかった。生きていなければならなかったのだ。それなのに勝手に死んでいった。お前と仲間になんてならなければ、お前にコーヒーなんて出さなければこんな気持ちにはならなかったのだろうか。
明智は俺をじっと見ていた。が、やがていびつに笑った。そんなにへたな笑い方は初めて見る。
「俺を苦しめるのがそんなに楽しいのか」
そう呟くと、いびつな男は俺の顔に唾を吐いた。

主竜(P5)

「お前の隣、俺だろ?」
なんてお前は簡単に言うが、ならこれから俺はどうすればいいって言うんだ。地元に帰る俺にお前は着いてきてくれる訳じゃない。俺だって残りはしない。お前の隣が俺ではなくなることに、なあお前、ずいぶん無関心じゃないか。……なあ、聞いているのか、竜司。
聞こえるわけもないのに、何度もそんな風に胸のなかで問いかける。世界すら奪った身なのに、度胸なんて人一倍あるはずなのに、お前への臆病はいつまでたっても治らない。

「今日お前んち泊まる」
一週間後に出発だというときに、急に竜司は俺にそう言った。その目はテレビのゲーム画面に向けられていたので、詳しい感情は窺い知れなかった。アクションに合わせて控えめに明滅する画面が竜司の横顔を照らしているのが、夕方になって薄暗くなってきた屋根裏部屋だとはっきり分かった。
「……ちゃんと操作しろよ。ゲームオーバーんなっても知らねえぞ」
呟くように言われて、言われるがままコントローラーを握り直して画面に視線を戻した。

やっぱり無茶だよな、なんて最初から分かってはいたが、部屋が寒過ぎるとあんまりにも竜司がごねるので暖を取るため仕方なく二人で布団に入った。ベッドと呼ぶには脆いビールケースの上、男二人が寝転ぶには狭いやら痛いやら最悪の有り様である。けれどぴったりとくっ付け合った背中から相手の熱はよく伝わった。竜司は体温が高い。俺の体温はそこまで高くないから、竜司から熱を奪ってしまってやいないかと心配になる。
スペースの限界によりソファーで寝てくれているモルガナの寝息だけが屋根裏部屋に規則正しく響く。竜司の寝息はいつまでたっても聞こえてこない。俺も眠れはしなかった。
「なあ」
「うん?」
呼び掛けに被せるように返事をしてしまう。早すぎはしなかったかと少し恥ずかしくなった。竜司はもぞもぞと動いて、なかなか次の言葉を口にしようとしない。シーツを握りしめてただ待っている。やがて、お前さ、と呟かれたときにはもうずいぶん時間が経ったように思えた。
「マジに帰んだな」
「うん」
「電話もチャットもしまくるから」
「うん」
「休みは会いに行くし。お前も来いよ」
「うん」
竜司の言葉が途切れる。今どんな顔をしているのか、とても見てみたかったけれど勇気がなかった。見てしまえば絶対に帰れなくなってしまうだろう。人のために生きるというのは、自分の感情を人のせいにすることではない。竜司のために帰らないのは、きっと自分勝手な話だ。
竜司がひときわ大きく動いて、ビールケースがガタと揺れる。次に自分の足に竜司の足が絡み付いてきた。暖かい。足というのは、竜司の心がある箇所だ。喉の奥で感情がつっかえる。
「お前の隣は俺だろ」
「……うん」
「分かってんならそれでいいんだよ」
話すというよりはまるで自分に言い聞かせるように竜司は俺にそう言った。毛布を頭までかぶって、つんと痛みの走る鼻をシーツに埋める。きちんと伝わっているのか、きっとお互い不安になっている。それでも触れあっている肌のこの温度さえ覚えておけば、何度だってここに帰ってこれるのだ。なあ竜司お前こそ、ずっと分かっていてくれ。お前の隣に還るのはいつだって俺なんだ。
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