水が地面を打つ音が身近に聞こえてきた。最初はまばらだったそれは少しずつ間隔を狭めていき、今ではざあざあと騒がしく降りしきる。どこか遠い意識の中でそれを聞いていると、不意にからからと別の音がして、水音はいったん止んだ。ゆっくり瞼を開けると、灰色にくすんだ窓の近くに人影が立っている。
「ああ」
耳に心地の良い、新たな音が頬を撫でた。まだぼやける視界をよく凝らしてみると、その男は彫刻のような指を窓に掛けていた。成る程、雨が降ってきたから窓を閉めてくれたんだろう。妙に不思議な感覚だった。この男が俺を慮って、俺の為に理屈を駆使したのだと思うと、それだけで何故か心臓が小さく丸められるような思いがした。
「おはよう」
くるりとこちらに振り返ろうとする男に、振り向くなという想いと早くこちらを向けという想いが交錯する。斜め後ろから見る喜多川祐介があまりに美しかったのだ。けれど、その真っ直ぐな眼差しは早くこちらに向けて欲しかった。下手な詩みたいだ。この男に会ってから、俺は芸術というものを意識しすぎているのかも知れない。
けれどそれも仕方がなかった。振り返った男の小刻みに揺れる青や、瞬きとともに存在感を放つ睫毛、通った鼻と薄い唇、何よりその魂の気高さを今日もこう正面から見せつけられては、この男の愛するものを肯定する他はなくなってしまう。
「……おはよう」
祈るようにそう返した。この男の感性の五指になりたい。そんな、途方もない事すら考えてしまった。