「あんたは自分の価値を知らないの」

むしゃり。発せられた台詞の直後に、さやかはドーナツを貪った。突然そんな意味不明なことを告げられても、あたしとしては『は?』としか返す言葉がないわけで。まずこの状況からして意味わかんないんだよ。道端でばったりこいつと会っちまって、フランスパンの入った紙袋抱えてたせいで両手塞がってたから逃げようとしたら、猫にするみたいに首根っこひっ掴まれてそのまま近くのファーストフード店にご入店なんだから。なんか知らないけど奢られてるし。こいつに、っていうか人に借りを作るのは嫌で嫌で仕方ないけど、意地張れる金もないししょうがない。しかし、いきなりこんなとこ連れて来られたと思ったらこれなんだから、あたしはどうしたらいいのかそろそろわからない。とりあえず首を傾げるしかないあたしを見て、さやかはあたしに人差し指を突きつけて割と大きな声を張り上げた。

「ほら、その挙動とか!その小首傾げがどれくらい価値のあるものかなんてあんた全然わかってないんでしょ!」
「はあ…?」

言い終わると同時に勢いよく立ち上がるさやか。そんなこと叫ばれても、ただ首傾げてるだけでなんの価値があるってんだ。自然と眉間に寄るしわを伸ばそうという気も起こらず、不機嫌を露わにしてさやかを見上げる。すると、さらに何かまくし立てようとしていたさやかがぴたりと動きを止めた。訝しげにまた視線を送ると、さやかの白い肌に赤みが差す。それはみるみるうちに頬を染めていって、最終的には面白いぐらい真っ赤になってしまった。さやかの眉間には、あたしと同じように深いしわが刻みこまれている。

「え、おい、どうした」
「…上目遣いはだめでしょ…」
「は?」
「…なんでもない」

ふい、とさやかがあたしから目を逸らした。少し素っ気ない口調は、どことなく機嫌の悪さを窺わせるようなそれで。もしかしてあたしは今、さやかを怒らせるようなことをしたんじゃないかという思考がちらつく。いや、べつに怒らせることなんてしょっちゅうだし、今さらびくびくするようなことじゃないんだけど。でも魔法少女じゃない時くらい、佐倉杏子と美樹さやかっていう二人の人間である時くらいは、対立は避けたいって、心の中のあたしが叫んでるんだ。こんなこと思うの、たぶんこいつが初めてで、慣れない感情に自分でもちょっと戸惑うけど。

「あの…さやか、えっと…あたし、何かしたか…?」

だから、恐る恐るこう言ってみたんだけど。

「…んなっ…」

当のさやかは面食らったように1、2歩後ずさって、ただでさえ赤かった顔を発火させたみたいにさらに赤くした。あれ、あたしまたなんか変なこと言っちまったのか?

「……杏子」

さやかはぶるぶる肩を震わせる。なんて言えばいいのかわからなくて、『あ』とか『その』とか言葉を選んで視線をあちこちに逸らしていると、突然さやかが勢いよくあたしの肩を掴んだ。へ、と自然に漏れてしまった声は笑えるほど素っ頓狂で、自分でもちょっと恥ずかしい。そんなあたしの胸中なんてお構いなしに、さやかはまたしても声を張り上げた。それはもう、店内どころか街中に響き渡るぐらいの大きさで。

「可愛すぎるって言ってんのよバカああああ!」
「………は?」

しーん、という擬音を生まれて初めて耳にした気がした。店員も客も凍りついたように硬直していて、今店内にいる全員の視線があたしとさやかに向いている。そんな数多の目なんて全く関係ないとでも言うみたいに、さやかはまだまだあたしに言葉の雨を降らせた。

「だいたいあんたなんなの!?初めて会ったときから思ってたけどさあ、その八重歯!反則でしょうが!そんで最初はツンツンツンツンしてたくせに、最後にゃデレッデレよ!もう!なんなの!猫みたいと思ってたらまさかの犬タイプなの!あーもう!プリティ!キュート!可愛い!KAWAII!」
「わかった!わかったからやめてくれ!恥ずかしいから!」

こっぱずかしい台詞をつらつらつらつらと並べ立てるさやかに一旦ストップをかける。ちなみにあたしは今顔がすげえ熱い。あと涙目。
さやかは俯いて肩で息をしたあと、大きく深呼吸をした。すーはーすーはーと2、3回息の往復を繰り返すと、軽く咳払いをしてから『とにかく』とまた話し始めた。

「あんたは…その、自分で思ってるより…か…可愛いんだから…も、もうちょっと、自覚を持ちなさいってことよ!」

りんごみたいに真っ赤な顔で、そう言われて。蚊が鳴くような声だったけど、あたしの耳が正常なら、確かに聞こえた『可愛い』の一言は恥ずかしさを含みまくっていた。さっき勢い任せに言われた可愛いよりももっとずっと影響力を持っていたそれに、なんでかあたしまでさっきの10倍ぐらい恥ずかしくなって、ただただ俯くしかできない。もじもじ、なんて音が聞こえてきそうなくらい手と手を忙しなく擦り合わせたりしてる自分がひどく女々しい。あたしはいちおう女なんだから女々しくていいのかも知れないけど、普段の行いからすると違和感満載なんだろうな、なんてことを考える。ちらりと向かい側を見やると、いつの間にか席についていたさやかはあたしと同じく照れくさそうに俯いて眉をしかめていた。その姿を見てると、あれ、なんか、へんな気持ち。

「…さやか、おまえ」
「へっ?な、なによ」
「か……可愛い…な…」
「……はっ!?」

思わず口をついて出た言葉にはあたしでさえびっくりしていて、それを向けられたさやか自身はかなりの動揺を見せた。口をぱくぱく動かして、両手をばたばた振り回して、それはもう外国人並みのオーバーリアクションで。な、とか、あ、とか上手く言葉に乗せられないらしい一字をひたすらに紡いでいるさやかは、やっぱりその、可愛いって思える。ああもう、あたしどっか変になっちゃったのか?
やがて狼狽えていたさやかは今日2度目の深呼吸を実行して、調子が整ったところでふんぞり返るように腕を組んだ。でも顔は依然として真っ赤だからあんまり偉そうには見えない。そして、あたしからあからさまに視線を逸らして、ふん、と鼻を鳴らしてから呟いた。

「ま、まあ、あんたの可愛いさには負けるけどね」
「…なっ…!?…」

さやかの口から転がり落ちたのは予想外の誉め言葉で、一気に全身が熱くなるのを感じる。もう思考がぐちゃぐちゃになってきて、勢いに任せてさやかに叫んだ。

「お、おま、おまえのほうが可愛いっつの!」
「な、あ、あんたに決まってんでしょ!」
「いーやおまえだ!おまえのほうが可愛い!」
「あんた!」
「おまえ!」