兎虎未完(TB)

惰眠を貪るいとおしさを僕は生まれて初めて知った。真横で寝息を立てる彼に教えられたそれは、とてもとても気持ちがよくて少し困るほどだ。僕の家、割と広めのリビングの床に投げ出されたふたつの体躯は夢の中へ船を進めることをやめようとはしない。ふたりで共用しているシーツを奪ったり奪われたりしている間に、壁時計が示す時刻は午後2時35分を回っていた。ふたりして微睡みだしたのは確か1時頃だったはず。ああもう1時間半も昼寝してしまったのか。普段ならとんだ失態だと頭を抱えるような現実だ。

兎虎未完(TB)

熱を含んだ吐息が首筋にかかる。くすぐったいと思っている間に吐息は感触へと変わった。まるで吸血鬼みたいに、バニーは俺の首にがぶがぶと噛みついている。噛むだけじゃなくたまに舐めたり触ったりしてきて、ああなんというかもどかしい。そうしている内にもバニーの右手は忙しなく動いていて、やけにゆっくりと腰をなぞる手つきに欲情が持て余される。バニーの唇は場所を移動し、今度は俺の唇に狙いを定めた。深く口付けられ、すぐさま長い舌が侵入してくる。そうしてしばらくの間口内をぐちゃぐちゃにかき回された。さすがに息が続かなくなりバニーの背中をバンバンと叩いて救助サインを出すと、見るからに名残惜しそうな顔をして口を離される。二人を繋ぐように引いた唾液の糸がてらてらと光っていたことが、えらく印象に残った。

「バニー、ちゃん」
「なん、ですか」
「あんま、焦りなさんな」

最初からこんながっつかれたらおじさんこの先保たねーわ、と途切れ途切れに告げる。するとバニーは眉をめいっぱい下げて、頬をかああ、と紅潮させた。りんごのような顔のまま、そんなの、と唇の形が言葉を辿る。

「虎徹さんが目の前にいるのに、そんなの、むりです」

焦るななんて、無理に決まってます。と、バニーは繰り返す。


ぶっちゃけおじさんに「焦りなさんな」って言わせたかっただけですねはい

鏑木親子(TB)

お父さんが赤ちゃん返りした。いや、ほんとうはしてないんだけど。でも赤ちゃんみたいにわんわん泣いて、うわあんうわあんって、大きな声で泣いていて。生まれたての赤ちゃんってこんな感じなんだろうなあって、わたしは冷静に考えていた。今日はわたしの誕生日なのに、なんでそんなに泣いてるの、なにかあったの。そうきくと、おまえの誕生日だからだよ、とお父さんは声をふり絞った。わたしの誕生日は、かなしいの?ちがうよ、うれしいんだよ。そんなにうれしいの?うん、こんなにうれしいよ。そんな会話をしているあいだも、お父さんの涙はとまらなかった。部屋の隅でお母さんが笑っている。ほらみろ楓、お母さんもお誕生日おめでとうって、おまえがまたひとつ歳をとってうれしいって笑ってるよ。お父さんのやさしい声がきこえる。わたしはすこしだけわらって、お母さん、楓おおきくなったでしょ、って、4歳のときみたいに言った。成長したわたしをみて、おおきくなったねって、言ってほしかったなあ。そう言ったら、お父さんが、パパが、おおきくなったなあって言ってわらった。ママの分まで、パパが楓のためにいっぱいいっぱい喜ぶからな。って言ってわらった。そうだね、パパがいるんだよね。
「ねえパパ」
「どうした、楓」
「楓も、赤ちゃん返りしていい?」
「うん、いいよ、いいにきまってる、いっぱいなきなさい」
わたしはちょっとだけ赤ちゃんに戻った。赤ちゃんがふたり、わんわんわんわん泣いていた。

兎と虎(TB)

視界がぼやける。首に回された両の手が、ぎりぎりと、ぎりぎりと。圧迫を続けるのだ。白い手が、細っこいその指が、俺を、みちみちと絞めていく。頬に伝う涙はかなしみの証。血の流れる唇はくやしさの証。おまえは今、俺が憎くて憎くて仕方がないらしい。昨日までこの手は俺を傷つける手ではなかったはずなのに。昨日までその瞳は俺を射抜き、睨み殺すようなものではなかったはずなのに。手を取り合って、助け合っていた日々などまるでなかったかのようで、思い出など、まるで死に絶えたようで。

「なあ、バニー」
「黙れ」
「バーナビー」
「黙れ!」

荒げる声とともに、かたかたと、バニーの手が小刻みに震えだす。ぽたりと頬に落ちたのは血なのか涙なのか、確認する術はなかった。ゆるやかに首を絞める力が強められていく。なんだか途方もなくかなしくて、ふっと目を細めた。視線の向こうで緑が泳ぐ。

「バーナビー」
「…おまえがサマンサおばさんを、」
「なあ」
「殺したんだ、おまえが!」

とどかねえなあ。なんて思いながらすこし笑った。俺の声はあいつの鼓膜に向かう途中でシャットダウン、言葉たちは無残にも効力を持たず消えてしまった。何がおかしい、とまた激昂する男は俺の相棒だったはずなのだ。なあバニー、なあバニー?はやくわらってくれよ、俺いますっげえおまえの笑顔みてえや。


20話も鬱でした記念

鏑木夫妻未完(TB)

幸せだったかと訊けば幸せよと答えるような妻だった。ごめんと言えばありがとうのほうが嬉しいわと返すような妻だった。ありがとうなと言いながら泣くと笑顔が見たいなあと困った顔をするような妻だった。彼女はいつも気丈だった。俺なんかには勿体無いような妻だった。

「ねえ、いつまで泣いてるの」
「だって、おまえの寿命が、もう、残りちょっとだって先生が、さあ」
「宣告された本人より泣いててどうするの」
「な、なんで、なんでおま、そんな、笑ってんだよ」
「薄々わかってたのよ。あー私もう長くないなあって」
「そ、そんなん、そんなん、よお」
「ねえもう笑ってよ。そんな顔で楓に会ったら笑われちゃうわよ」
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