ユキ夏(つり球)

ユキに好きだと言われ1ヶ月が経ったが、ふたりの間に大した変化が訪れることはなかった。いつもどおりに集まって釣りをしたし、ヘミングウェイでくだらない話に花を咲かせたりする毎日が平行線上で続いている。本当に特別なことは何もなく、ただ友達として日々を過ごしているのみだった。その間俺はユキへの返事をうやむやにしたままで、ユキも俺に何かしらのアクションを取ることはなかったと記憶している。ああでも、一度だけ。あんなことを言ったけれどこれからも変わらず一緒に釣りをしてほしいとバイトの帰り道に言われたことはあった。当たり前だろと取り繕うように作り上げた言葉を受けたユキは、ありがとうなんて口にしてなんだか寂しそうに笑っていたのだ。その笑顔はなぜだか今でも脳裏に貼りついている。とにかく、変わったことと言えば本当にそれくらいしかないほどだった。しかし、表面的には何も現れていなくても、告白された日から俺の内面に少しばかりの変化が到来しているのは否定できない事実である。隣に並ぶときの距離についてだとか、電話をかけるときの妙な緊張感だとか、見つめ合ったときの瞬きの回数だとか。本当に些細で、でも確実な変化らしい変化だ。何かにつけてユキと自分の関係を振り返り、ぶつかりかける視線を少しだけずらす。不思議と高鳴る心音はなかなかしつこく俺を焦らせ、おさまるにはすこし時間がかかるのだった。はあ、とため息をつくのももう指で数えることができない回数にまで至っている。花が開くように芽生えた意識は、緩やかに緩やかに、俺の奥の深いところを浸食しているように思えてならない。真剣な顔つきで水中に糸を垂らすユキをちらりと盗み見る自分の胸中をよく確かめようとしないのがたぶんその証拠だ。深追いはしてはいけない。でもこのもやのようなものを形としてなぞりたいという気持ちも確かに存在して、俺は今日も水面に映るユキに視線を注ぐのだ。さてここで俺はひとつ悩みを抱く。けっきょくあいつが俺のことを好きなんだったか俺があいつのことを好きなんだったか、よくわからなくなってきた。


乙女すぎた

ユキハル(つり球)

「ユキだいすき」

ハルを好きになって数ヶ月、ついになにもかも我慢できなくなった俺はハルを押し倒して愛撫して好きだとかなんとか言いまくりながら俺のまだ知らなかったハルを強引に知った。どうしたのって不思議そうに首を傾げたハルはだんだんと不安そうに眉を下げてなにするのって言って、それでも俺はお構いなしにハルの首筋とふとももにキスマークをつけた。やだ、とは言わなかったけどハルは涙を流していたし、ああもうだめなんだな、友達としての俺たちは終わっちゃって、もう一緒に暮らすこともできなくなるかもなあなんて、俺は心の隅で嗚咽を漏らしながらしくしくと水たまりを形成していたのに。白く染まる空たちの淡い色を浴びたハルは、俺にこう口を開いたのだ。だいすきって。ばか、俺はおまえに正反対のことをしたのに、何も知らないおまえを自分勝手に傷つけてしまっただけなのに。痛いっておまえ言ったじゃないか。こわいって、きれいなおまえの瞳はそう語っていたじゃないか。なのに額にべったり汗を浮かべたハルは、なによりもかわいく俺に微笑むのだ。幸せそうにさえ見えてきて、俺の口は自然と動いていた。やめろよ、って。しかしハルは、ぽかんとした顔でなんでと問うのだった。大嫌いって言えばいいじゃないか、こんなにもひどいことをした俺を許さなければいいんだ。なあハル、俺はおまえに責められたいよ。でもおまえは俺を好きって言う。だから俺は、これ以上ないってくらい嬉しくて、そして悲しかった。ぼろぼろと情けないほど涙が出る。ハルの目元に落ちたそれはさっきまでハルが作っていた涙の道筋をたどって、ゆるりとしろい頬を撫でていた。ほんとうは、それがきっと正しい姿だ。俺を嫌悪して泣くハルこそ、いま俺が見るべきハルなのに。

「ごめん」
「? ユキ、なんで謝る?」

ぱちくりと目を瞬かせるハルが俺はかわいくて仕方がなかった。ああ、明日になれば俺はおまえを想って自慰に耽る日々へと帰るよ。


オナニーマスター真田

ユキ夏未完(つり球)

初めて夏樹と手をつないだ。風の冷たさが身にすり寄る秋の日のことだ。去年よく着た気に入りのセーターを纏う俺は、もういっそ半袖でもよかったんじゃないかなんていう無茶でばかなことをふと考えたりしてしまっている。だって、だって好きなひとと手をつなぐだけでこんな戸惑うくらいの熱が体に宿るだなんて思ってもみなかったんだ。指先が触れたときに走った電流にも似ている感覚は、この先なかなか忘れられそうにない。冷気にさらされていた夏樹の手は意外にもほんのりと熱を持っていて、筋張ってかたいそれはでも少し柔らかかった。夏樹は何も言わずただひたすらに歩いているだけだけれど、少し足を進める速度は速くなったかもしれない。俺はと言えば、恥じらいが荒波のように心のなかを打ち乱れるおかげで、夏樹の顔をきちんと見れずにただ俯いているのみだ。木枯らしがまたふたりにゆるりと寒気を運んでくるけれど、そんなものはもうなんともどうとも思えない。ああ汗さえかいているかもしれない、手とか、手とか、あと手とかに!

「ユキ」

思考の海が俺を冷静とは対極の位置に押し流している最中、唐突に夏樹が俺の名前を呼んだ。世界中の優しさを詰めこんだような、でも戸惑いに自分を彩られているような声で。とっさに顔をあげて、なに、って返すことができたのはまだよかったけれど、声色が完全に裏返ってしまったのはよくなかった。ああもう羞恥が沈殿していく。俺の間抜けな返事にすこし笑った夏樹は歩く速さを緩め、つないでいる手の力をちいさくだけど確実に強めた。ぎゅって伝わる感触は、濃縮された幸せみたいに手のひらに残る。たぶん俺はこの暖かみに照らされる感情をひとつの言葉として知っていた。シンプルなのに魅力的で、月にも似たきれいな言葉だ。

「好きだ」

言葉の答えは夏樹の唇でするりと紡がれた。

ユキハル(つり球)

死ネタっぽい
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最近ハルの元気がない、気がする。態度こそいつもと変わりなくうるさいくらい元気なんだけれど、ごはんはよく残すし必要以上に眠るようになった。すこし心配になって体調悪いのかとある日問いかけたが、ちょっと渇いてきちゃってるだけだと思うから大丈夫と言ってハルは笑うだけだ。それならと、俺はハルに水をやった。庭のホースを使ってばしゃばしゃと。ハルは気持ちよさそうに目を細め、ユキありがとうと微笑む。その姿にほっと胸をなで下ろし、これでもう大丈夫だろうと顔を綻ばせた。でも次の日ハルはまた昼過ぎまで眠っていて、用意してあったごはんも半分しか食べていなかったので俺はさめざめと悲しくなってしまった。ごはんを食べるとまたすぐきれいに目を閉じて毛布を鼻まで被るハルを見つめ、なんだかもう恐ろしく暗い色をした感情を胸に持て余す。水が足りていなかったのかもしれない、そうだ、きっと昨日のあれじゃ足りなかったんだ。そう納得して浅く夢をみていたハルをやんわりと揺り動かし、手を引いて庭へ連れ出した。そうしてハルに昨日より多くの水をかける。ハルはふふ、なんて風に緩く笑みながら瞳を閉じてただじいっと佇んでいた。しばらくしたときハルの体がふらりと揺らいだので、とっさにその細い体を受け止める。俺の手の中でちいさく咲くハルの目を見て、なんだか無性にむなしくなった俺はハルをきつく抱きしめた。なんでだろうな、なんでだめなんだろう。そう呟くとハルは、ユキ、と聞いたことがないくらいの優しい声色で紡いで、俺の頬に手を添える。そしてばかみたいにきれいな顔でこんなことを口にするのだ。

「ほんとはずっとわかってたくせに」

大好きだったよ、さよなら。とハルは言って、そうしてすぐに俺の手の中から消えてしまった。後にはさみしい俺とちゃぷちゃぷと音を立てる水鉄砲だけが残った。


ハルちゃん人間より短命だったら悲しいなみたいな話

ハル(つり球)

朝ごはんにしらすを食べる。もぐもぐって、よく噛んで飲みこむ。そういう日はけっこう多い。しらすを食べているといつも一瞬だけ胸の奥がつんってなったりしたけど、そんなのもすぐに治まって最後には空になったお椀の前でごちそうさまと言い手を合わせていた。感謝の証だってケイトに教えられていたそれが、僕にとってごめんなさいの印だってことに気づいたのはほんとうに最近のはなし。今まで僕に食べられる魚たちのことはきちんとかわいそうだなって思ってたし、ありがとうとも感じていた。けれど、言っちゃうならそれだけで、心のずっとふかあくでは仕方のないことだよねって考えてた。僕はあいつを釣らなくちゃいけないから、そのために人間の形をとったんだから、ちゃんとごはんを食べて生きていかなきゃいけない。これが星のためなんだから、こうするしかないよねって。ずっとそう思ってきたけど、でもユキたちと一緒にいて楽しいとか切ないとかいろんなことがわかった中で、僕は終わっちゃったなかまの目をすぐ近くで見た。見ちゃった。かわいそうだなって思ったりありがとうって感じたりするより前に頭をよぎったのは、悲しいっていう思いとごめんねっていう気持ちだった。僕はそこで初めて、自分がなかまを食べているんだってことをよくわかったんだと思う。それから、魚を釣るっていう意味も、ほんとうによくわかった。僕は魚を釣るとか食べるとかそういうことを星のためにずっとしていたわけだけれど、それはつまりたくさんのなかまの命を僕がいろんな形で終わらせていたって意味だ。僕はなかまのために、なかまを食べてた。でも僕の奥の深くで眠ってるしょうがないって気持ちは大きくて、きっとあいつを釣るまでこのしょうがないは消えない。星のために、僕はまた釣りをするし魚を食べる。ああ、僕ってすっごくひどいやつなのかも。みんなごめん、ごめんね。

「ハルー、今日の夜はしらす丼にしようかってばあちゃんが言ってるけど、それでいいか?」
「…うん!」


魚食人魚きゃわわ
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