私たちは、ボディワークにおいても、法といったような名前が示すとおり、法を学んだり実践したりします。

しかしそれは、何か特殊な手口を会得するとか、特別なルールで自分を縛るとかいうことではない。


『天衣無縫』というコトバがあります。天女の衣は細工や技巧を凝らして良くつくられた服ではまったくない、という意味合いでしょう。
しかしスピリチャール系でよく言われる『ありのまま』とは、『自我が』ありのままでいたいがための、言い訳に成り下がっています(笑)。
そのアリノママでいたって、一向にコトは進まないことでしょう。つーかそれは天衣無縫というより、生地をかぶっているだけである(笑)。

しかしまた、
どんなにかよく出来た靴でも、裸足のクオリティには永遠に到達できないのである。すごく良くつくった道路の下で、大地は窒息するのである。



迷いの衣を脱いだとて 悟りの衣を着てはなあ
(相田みつを)


ボディワークとは、その名の通り、ボディそのもののワークですけれども、ボディをあつらえるワークなのではありません。シンから裸にならなければ変えようがないことがある。真意から無縫でなければとれないシセイがある。







つづく





マイクタイソンが復帰するというニュースで、全盛期の映像が紹介されてました。ほんとスゴい。震え上がるわ。もし自分が、なまじアメリカで黒人に生まれ、なまじ体格がよく、なまじ腕っぷしが強く、なまじ強いボクサーになったとしても、人生のピークで、大観衆の前で、あのパンチ一発ですべて吹っ飛ばされた可能性があったのである(笑)。
久しぶりに見て思ったのですが、タイソンのパンチは、しっかり足から出てないですか? 速すぎてよくわかんなかったけど、足の爪先からパンチが放たれたような映像記憶が残ってる。




(-。-)y-~さて、ボディワーク的に一番タメになるアニメといえば、北斗の拳でもドラゴンボールでもキン肉マンでもなく、観てないからわからんけどおそらく鬼滅の刃でもなくやっぱしエヴァンゲリオンであることに、皆さんも異論はないはずです(笑)。
セントラルドグマの磔のアダム(実はリリス)は、ロンギュヌスの槍が抜かれ、サードインパクト発動するまでは、脚が生えていない。そして仙骨に似た絵図の仮面が顔に貼り付いている。だがインパクト発動で、腹が膨れ上がり、脚が生えて、仮面が剥がれる。
これはじつに仙術的というかシンタイコウ的な描写である。

胸でクロスする全身全霊の十字にもつらなるように、肚には『シン十字ジンタイ』とでも呼びたくなるチカラの十字構造がある。△とで正中心を示す図式があるけれど、体感的には『十』もある。
腰を反らせることなく、はからずも腰が反るのならば、それはハッキリとする。腰が反りきる、即ち重心が落ちきる、ということは、即ち『死を覚悟』するようなものである

スポーツトレーニング的には『腸腰筋が活性化する』っていうようなことになるのかもしれませんが、シンタイコウは筋トレじゃないし、錐体路系の運動はしない。『何もしない』を徹底しないかぎり、そのタイカンは得られません。



次回予告
『私は死んでも生きる』







緩和急題





グリムスパンキー。

初めてちゃんとビジュアルを見ながら聴きました。これがあの歌声のネーチャン(松尾レミ)だったかぁ! いーじゃん!



あと、池田エライザって人は何者?モデル?女優?よく知らんけど、きっと歌手ではないよね?でもゴッドファーザーのテーマを歌ってた。まだ若いよね?でもかなりの雰囲気があった。すごく良かった。本業は女優だとしたら、たぶん芝居もイイ芝居すんだろうなって、すごくおもった。


で、エレカシの宮本浩次 はソロになったみたいで、ちあきなおみの超名曲『喝采』を唄ってました。イイ。やっぱし地力がある奴はたんなるエキセントリッカーではない。地力は大切だ!
フン!(強健術)。
ジー(正座)。
スー…ピタリ(シンタイコウ)。

しかし宮本君は、もしミュージシャンで売れ損なってたら、どうなってたんだろう。
90年代半ば頃にブレイクするまでは決して順風満帆ではなかったはずだ。なぜ続けられたのか。『だってやめたら死んじゃうから』ってくらいの逼迫さがあったのかな。いや、やめるという選択肢自体、彼のDNAコードには無かった(笑)のではないかと、私はおもうのです。













蛇は脱皮と新生を繰り返すらしいですが、シンタイのセボネもまた、ダッピとシンセイをくりかえす。

ところで禅では、『小悟』と『大悟』という区別があるという。
『悟り』には大小があるのですかね?てゆうかそもそも悟りという言葉が何を指すものなのか、私はわからない。のですが、ボディワークにおけるシンの『脱力』と、道元禅師が云ったところの『身心脱落』は、そう違うものではないとおもう。


『体の脱力』と『心の脱力』、逆にいえば『体のリキミ』と『心のリキミ』は、切っても切れないものなので、ソレとコレはチグハグにはなりえない。 たとえば催眠術やドラッグで一時的に思考を脱力させたら身体も脱力するでしょう。
あるいはスワイショウをやったあとなどに、心身がスッキリしたりとかするでしょう。

ですが、それは身心脱落ではない。


脱落とは正に文字通り、脱落である。
外部からの刺激や、たまにおこなうエクササイズで、そのときだけそういうふうになるのとはまったくちがう。心を無にしたときだけ『イイ感じ』になるのとはまったくちがうはなしです。







つづく






フィルム映像の肥田春充の動作を初めて見た21才のとき、何が何だかわかりませんでした。
だが繰返し何度か見ていると、ふと、第四動の本動作に、不思議な印象を受けた。

胴体と脚が繋がっていないように見えた。悪い意味でなく、まったく脚で体を支えてはいないように見えた。今おもえば、空中浮遊をするヨガ行者の姿を連想させるようにも見えた。

重心はガッツリ落としているのに胴体が地面にまで落ちないのは、脚で支えているからではないとは思っていた。
だが、それだけではない。腰や腹の力でも支えてはいないではないか!


磁力的なチカラが、体を『沈め×浮かせ』ているのです。腹は下へ下へ引き寄せられ、逆に腰は反発的に跳ねる。


腰腹の姿勢をキメるという鍛練は、シンタイコウ流に云うなら、徹底的なチューニングである。

骨盤でなく腰椎を反りこむように肥田式強健術をやってしまう人が、逆に腰を痛める結果になるとかいう話はたびたび聞いていました。だが、骨盤(仙骨)を反りこむこともまた、正解とは言えなかったのです。

グーン!と落ちていくチカラと、ビーン!と跳ね上がってくるチカラは、腰や腹からつくるのではありません。チカラは『身体ではない』のです。身体は、しかるべき姿勢を『とらされる』だけです。




つづく


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