インナーブレイン

平成以降になってから、インナーマッスルのことが言われはじめましたので、それまでは、一般的には、姿勢を正すということに、アウターマッスルと、根性(我慢)が使われていました。 端的ちぶる的にいいますと、インチキがおこなわれていました。
背筋を伸ばして胸を張る。これが中芯から生じているチカラの結果なのか、ソトヅラアピールなのかは全然違うもの。おそらく宗教界などは、悟った人的な?キャラづくりがソトガワにできている人は沢山いる。スピリチャル系でもスピリチュあるある。外でワクワクアピール、家に帰ってシクシク泣いている人いるだろ。



最近の記事で書いている「脳指令」とは、アウターブレインの労働のことです。インナーブレインの働きは、中芯軸を通して肚に直結しているので、アウターブレイン、アウターマッスルの労働のような時差、誤差はありません。
つまりインチキはおこなわれません。

すなわち、自分自身に対するウソや裏切り行為を、しなくていいのであります。

次回予定「アウターハート、インナーハート」





コーリング

レコードからCDへの移行期が青春時代でしたので、当時はどちらでも聴いていましたが、音の違いはあんまりわからなかった。 でもなぜかクラッシュというパンクバンドの音だけは、CDで聴いたとき妙にシャカシャカと軽々しく聴こえました。ローンドーンバーニン! ジャガジャガジャッジャッジャーン!が、ローンダーンウァーニン シャカシャカスッタンターンだし、ジョーストラマーのツバが飛んでくるような感じもないのです。
バイクももしかしたら、キャブレターとインジェクションでは決定的に違う感覚があるのかもなあ…

脳指令のデジタル運動と、肚からの運動もこのような違いがある。
揉みほぐしの店で揉みほぐしの仕事をしていた頃、「ちぶるさんだと効き目が長持ちする」と時々いわれていましたが、 真体功法ならもっと長持ちするし、「癒し」だけにはおさまらない。
が、違いを感じない人もいます。感じないのはダメなことだといいたいのではありません、縁がなかったということです。


俺は 秩序と闘った

秩序が勝った

俺は 秩序と闘った

秩序が勝った

事場

脳の指令よりも速く強く適切に動くことは、武術の達人ならば当然でしょうが、通常の人なら火事場のバカヂカラのように突発的な特別な事象でしかないかというと、そうではありません。


整体施術のときに、脳はモニターとして機能します。手の動きのほうが速いし手の言うことのほうが適切だし強い。言うなら、手は氣で動いているのであって脳指令では動いていない。事実、脳指令の方がゼロコンマ何秒か遅い。よって施術中、脳は出来事のモニターとしてその役割を担ってもらうのが適当なのです。
このとき、時間なるものは、あまり確固とした存在ではない。


脳の指令力を鍛えて能力や自己を研いていくやり方は、結構な効果結果を出せるとおもいます。仕事の出来る人とかシャベクリが上手い人とかにも、その能力が高そうな人がいる。
でも私自身は、そのやり方に、その過程に、そして結局その結果に喜びが伴わないんであります。

脱力とは、行為の種類のひとつを指した言葉ではありません。もっともまったくのっぴきならないコト&バなんだよ。





療術の氣 武術の氣 のつづ氣

横隔膜から下は肚です。肚とは土です、地中です。横隔膜は地面、これはゴルゴダの丘。ならばそこにはエースキラーに磔にされたウルトラ五兄弟がいて、どうやって助かったか忘れたがたしか五兄弟合体光線でエースキラーを倒すわけですが、この話は大分逸れていますので話を戻します。ゴルゴダの丘に立つ上体には、十字氣号があります。
ハラとハート。東洋と西洋の文化的な色合いの違いもこんなところから顕れているようにもおもわれますが、どっちがどうとか区別やジャッジする時代ではありません、ヒトひとりの身体を分離、ジャッジなどできません、ハラートでいいじゃん。…まてよ、五兄弟を磔にしたのってヤプール人だったっけか?「くたばっちまえアーメン」と唄っていた3人組はシュガーだったっけか。ま、いいわ、とにかく北斗と南が合体してウルトラマンエースになるっていうのは、子供ゴコロにはあまり格好いいとは思えなかったが、大人ゴコロの今なら、合体かぁ、いいねぇ、深いねぇ、よっエース ! なんて思うわけですが、また話が逸れているので戻します。真体功の歩む道は、ハラートのアートだとまずは言っておこうぢゃないか。
つづく





バイブライブライフ


思い出す 忘れない

僕はずっと君のこと

考えてるところ



文字だけみたら、この唄だけ読んだら、あーはいはいゴクロウサンとしか思わないのに、コレに甲本ヒロトの声が乗ったら全然全然違うものになって私を貫通する。


揉みほぐし屋さんに勤めていたときに、マッサージ大好きな人達がよく言っていたセリフは、「やっぱり機械じゃなくて人にやってもらうのがいいんだよねぇ」 。気功法ほどの精妙なものでなくとも、ある程度は人は「気づかい」やら「息づかい」やらで響きあっており、それはいいことばかりでなく不協和音だって奏でたりもするわけですが、通常、人は、自分の響きのパターンをキープしていようとする働きがある。ホメオスタシス。


主人公が「小さくまとまんなよ」とキメゼリフをいうテレビドラマが昔ありましたが。めに見えてデカイ事やワイルドなことをするとかしないとかいうことはさておき、響きに淀みがないときヒトは「これがワタシだ!」的な実感をしています。響きをキープするための「これが私だ。」的な営み以上の大きなホールでのライヴです。



あいた あいた チューシンジクが

ならんだ ならんだ チャクラ七色

どの華観ても 氣レイだな






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