シンス





今一度、腰を入れる、仙骨を上げる、立てるということが、一段と正確さを増してわかってきたつまり出来てきた。身体のパーツのどこをどうするようになったからとかいう説明も可能ですが、これって単にテクニカルな進歩なのではないよなあとおもう。シンポするたびいつもそうおもう。




姿勢動作において肥田さんは、観念による作業を否定しました。イメージ法など駆使せずただただメカニカルに身体を扱う べきであると。
しかしそうするには絶対条件があります。我々はたいがい、無意識レベルで何らかの観念エネルギーが身体に染み付いているので、それが白紙状態にならないかぎりはそもそも純粋メカニカルな動作など出来やしないのである。

よってフツーの我々は、まず染み付かせた観念を暴き、解体しないことにはスタートラインにも立てないのです。とはいえ、では瞑想とか心の修行を極めてからなければ運動してはいけないのか?というとそうではない。ソレとコレは別問題ではない。観念に囚われた動作しか出来ないのだったらそれをしながらそれに気づいてそれを終わらせていくのです。


私自身は、よく、自分はイメージングをしまくっていろいろとシンタイコウをしているのではないのかとおもうときがあります。イメージが湧きまくるからです。 でも、詳細に観察すると、湧きまくるイメージより以前にノーマインドフラットボディというのが在るのである。つまりイメージとは「アトからくる理解」なのです。
「イメージ信仰」と「イメージの創造」は違いがあります。「科学信仰」と「科学の創造」は同じではないように。」




♪ダンスナンバーで踊りつづけようくだらないことは沢山あるけど誰かが決めたステップなんて関係ないんだデタラメでいいよカッコ悪くたっていいよそんなこと問題じゃない君のこと笑うヤツは 豆腐にぶつかって死んじまえ

(ブルーハーツ、ダンスナンバー)










シン トワ マ ミー




♪旅に出れば 女が誘い ただ意味なく ブチ込むけれど この僕の 行き着くとこは お前の胸 他に無いのさ

(RCサクセション、サントワマミー)



私は肥田式をやってきているといっても簡易強健術ばかりで、脚の踏みつけの稽古は全くしてこなかったからか、「腰からくる腹」のチカラは養成していても「脚からくる腰、からくる腹、のチカラ」は、あやふやだったようだ。 しかしそれが俄然シッカリしてきた。

とはいえ脚の踏みつけ運動をはじめたわけでもない。足部の三角と腹腰の三角をつなげられたことにより、ケイ道がよりハッキリしてきたのです。正中心とはピラミッドの「目」ですが、シンタイの三角ケイは1つだけあるのではない。大小に正逆に多元的に構成されたいくつもの三角が立体万華鏡の絵柄のようにたち現れるのである。

とにかく姿勢力はまた強力さを増した。静座でもハッキリと以前より違いが出る。姿勢力が変わるということはすなわち運動能力もイシキも変わるということである。


脚の踏みつけ(気合応用術)は見た目にアクティブで、いかにも運動らしい運動のようだけれども、その本質は姿勢力であるということには変わりないことでしょう。内へ、内へと入っていくことが、このミチである。内で見つけたものが外に現れるのである。






シン ドゥ トワ



羽生ユヅル君が以前、4回転ジャンプ対策として筋トレをするようになったと聞いたとき、私は内心プチガッカリしてました。スポーツは結局ソレを避けられないのだなあ‥と。

しかし、先日の大会優勝後の談話で、私は彼の奥深い探求心をあらためて知り、チョー見直した。 彼の演技の凄味はそんなところから滲み出てくるものなのだろう。

彼には、「力を使わなくとも4回転ジャンプは跳べるはずだ」という信念があるそうだ。さしあたって筋力アップすることが今は不可避みたいだけれども、演技の「美しさ」をなくしてしまうことだけは 彼の中ではあり得ないことみたいだ。

その追求心は「筋力と演技力のほどほどのバランス」などというものが着地点ではないように感じました。最高に美しい演技とは力では跳ばない演技である、という信念に妥協するつもりはないようだった。


彼が絶大に人気なワケは、実力ナンバーワンでイケメンだから、とかいう次元の話ではないでしょう。全くモノが違う。



次回予定
「シン トワ マ ミー」







ワレ未だヤジロベエたりえず







この筒の上にはたまに乗っていて、筒の上でスワイショウもやったりしています。重いモノを抱えて乗ってみたりもしました。重心感覚は研ぎ澄まされます。

しかし…

調子に乗ってさらに試したことは、暗闇の中でこの筒に乗ることだったのですが。 なんと、全然出来ませんでした。
どんだけ視覚に頼ってんだよ。とおもいました。暗闇で強健術をやってみたら、強健術は出来たのだが。。

視覚に頼れないことに加えて、そこでわずかに生じる心理的な不安感がたちまち身体バランスをも不安定にさせているようです。たぶん練習してれば出来るようになるような気はしますが、ガッカリしましたね。あまりの出来なさに。


それはそうと、リアルに感づいたこともあります。
私は「思考は遅い」という話をときどき書いていましたけれど‥「この世」そのものが、すべて、遅いのである。それを視覚で捉えている作業がまたさらに遅く、捉えた視覚から思考する作業がまたさらにさらに遅いのである。コンマ何秒のタイムラグではあるけれど、確実に遅いのである。


しかし俺は今まで「瞳孔のフゲイのフリ」をしてただけなんちゃうの? インチキ野郎がよ。イカサマリリンがよ。
ホントあきれて歌でも唄いたい気分になります。

♪ヒットエンドラ〜ン!!
(鳥居みゆき)。









ハラを立てる(THE インテグレイト ロックンロール シンタイコウ)。





腰を反る肥田式での「横隔膜はそのまま」という説明の真意は、「横隔膜は動かさない」といったようなスタティックな意味ではないとおもう。姿勢、 腹腔を歪めてまで下肚への圧をかけるべきではないと言っているのだ。


私は上肚(横隔膜下、第三チャクラ辺り)こそが真中心だとおもっています。基点です。この基点から腹を腰をキメるとどうなるか。 腹は伸びます、張ります。腰も伸びます、張ります。腰の下部にギュッとかかる緊張は、負担のかかっているような不快なものではない。腰の上部(腎臓のあたり)までを痛快に引っ張るように作用している痛快な緊張である。そしてこれは下肚に圧をかけるというよりは下肚に圧がかかるといったほうが適切な、そんな姿勢動作が行われているのである。


このハラの立てかたは、まるで「清々しい怒り」である。後腐れも躊躇もない破壊と創造である。





次回予定
「親指は、たたむ」

「底抜けの笑い」

「ストレッチの奥義、超能動的ヨガ、ファックオンマッハ式シンタイコウ」








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