シンタイの垂直軸だけでなく、水平軸もまた重要です。
シンタイの十字がピタリとまぐわうならば、ポカッと身心が喪失、あるいは無限拡大するような、絶妙なシセイがある。



耳の話を少々。
水平軸や副軸において、耳は大事なところです。そして耳の入口の内側の顎関節もまた大事。
スポーツ的運動においてはどうであろうとも、シンタイコウではインパクトの瞬間にグッとアゴを噛み締めるのはダメです。肥田式などでも、キメの瞬間にそのようにしてしまうのはダメだとおもいます。そうして武術や気功などで氣を発しようとすると偏差になります。

頭や首の筋骨や意識のリキミを抜くのには『耳で呼吸』するとよい。『ミミを抜く』のです。

耳で息をする(平たく言えばまずアゴの力を抜き、そして耳を澄まし、それでいてなおかつ何かを聞こう聞こうとしない)。
身体の中心をとっ捕まえようとかする思い、ソレこそが中心を遠ざけるものだけれども、耳を開けるとそんなイタチごっこもやめられるのである。肥田式で云う『瞳孔のフゲイ』の、耳バージョン(シンタイコウ式)のようなもんでしょう。


さて、中心とは下肚一点『だけ』に居座っているようには、わたしはかんじられません。もちろん腰腹の姿勢は決まれども、上丹田の中心はすなわち下丹田の中心であり下丹田の中心はすなわち上丹田の中心でもあるのです。どちらかが中心であるならどちらかは部分であるわけではありません。


中心の在処とは、腰腹だろうが脳幹だろうが、ソコ一点限りではない。よってたとえば『身心の中心はドコか?』などと問たところで、一点を指しようが無いです。しかし肥田式は腰腹の一点特化でソコを詳細に示している。が、それはやはりボディワークであるゆえんだとおもいます。ハラはウソをつかない。けれども、肥田さんがじっさいに体現した中心力とやらは、下丹田特有のチカラだけには全然収まってなどいないのですよ!。

腰は文字通り身体の『要(カナメ)』。腰腹があやふやならばなんにもカタチにならない。また、脳機能がバラバラでもどうしようもない。しかしまた、問題なのは、中丹田でしょ。
はたして太陽とは、ほんとうは物質として存在している恒星なのだろうか?と私は疑問におもったりします。
そこはそんな処。



♪あい サンサンと
このミに落ちて

(美空ひばり、愛燦々)



つづく