シンワへの道




仙術や気功で云うところの『錬精化気』。これは精力を蓄えて使うということではない。柔道でいうところの『精力善用 』とは違うものだとおもいます。精は化けるのであります。ですから精力が充実しているとか善なる用に使うとかってことではない。

気はさらにシンに化すわけですが、それはまず置いといて、呼吸においての錬精化気的な話をしたいとおもいます。

酸素=精とします。
酸素をたくさん採り入れるということは、精力をたくさん蓄えることと同義である。もちろんこれは健康上有益なことである。だけれども、とても物質的な健康です。
有限性のものです。『奪い合い』を孕みます。

一般的に、呼吸法や呼吸力とは酸素力の活用力の養成です。これはこれで無視できませんが、その力が気そしてシンに化さないかぎり、肉体的健康や物質的幸福に、執着しかねない。

現状維持はすなわち停滞です。そして、より多くの物質的豊かさを望む行為の行き着くところは、戦争である。



スムースでナチュラルな呼吸ができ、なおそれを、物質的相対的呼吸ではないイキに化す、それがシンのコキュウへのミチです。


つづく

夏のタヨリ






少し以前の記事にも書いた、かのO橋さんから今年も夏の便りが届きました。御中元というか御布施のようなものも付いて(笑) 。

なおかつ、20年位前の私のスナップ写真も同封されておりました





なつかしい…
そして若い…





この頃からかれこれあれこれまだ生きている私です。さてシャバの仕事に 戻って一ヶ月になりますが、なんだか、お客さんの、私に対する評価は両極端みたいです。
不機嫌そうに『あなた、まだこの仕事はじめたばかりなの?』と複数名の人に言われました(笑)
私の手がぜんぜん気に入らなかったようです。『手が熱くてキモチワルイ』とも言われました(笑)(笑)

こんな短期間で何人にも超低評価をいただく私は、ほんとにヘタクソマッサージ師になっちゃったのかも?しれません(笑)反面、『あなたはプロ中のプロですね』とか『今までいろいろ受けてきてこんなに良かったのは初めてです!』などと好評価もいただいてはおりますが、あまりにも真逆すぎませんか?(笑)

昔は、好評価や指名のアベレージを上げてこそナンボ、それが当然、それが名人と考えてたし、全打席でヒットを打つつもりで仕事してました。それがこんな短期間のうちに何名からも素人扱いされるなんて、これが昔だったら切腹したかもしれません(笑)

だが今は。
不満足そうに嫌な顔されたり、悪いこと言われるのはたしかにイイ気分ではありません。そんなトゥーマッチな時間を過ごすことは疲労も倍増します。でも、私は、こんな異常に両極端の評価が飛び交う現状に、今の私が反映しているようにおもう。 それはさほど悪くない。私は私を必要としない人には嫌われてかまわない。決してするべきではないとしか思えない変な施術を行って、評価される必要などないのです。私が提供できる何かとはちがう何かを求めている人の望みには応えられないということはハッキリさせる。そして私が提供できる何かで本当に喜んでいただける人の笑顔が、何よりも私を、そのようにさせてくれる。








シンメイのリキ ?




ひっさしぶりにクルマに乗りました。助手席だけど。バイクと違ってチョーラクです。チョーラクです。も一度いいます、チョーラクチンです。

俺は思うね。とにかくラク=とにかくハッピー、だとね。


雨風に当たらないわ、静かだわ、飲み物は飲めるわ、カーセックスは出来るわ(相手がいれば)、バッハでもピストルズでも何でもいいから好きな音楽も聴けるわ、なんでもアリやんか。なんなら小便漏らしながら『ファック!ファック!ファッーク』と叫びつづけたって誰にもキチガイとは思われないで清むのである。


そしてとにかくラクといえばもう1つ。
ずっと前の記事で、ブルブル震える台の上に乗るエクササイズマシーンが流行ってるみたいで気になってます的なことを書きました。んでついに私も乗ってみました。


やはりスワイショウキラーだった。

ボディワーク等の極致とは、『何もしない』ことである。でもボディワークとかって、どうしたって『する』じゃん。
その最大のジレンマをさらりとスルーして、ただ台の上に乗ってるだけで、ヘタクソなスワイショウを何千回するよりも遥かに効能が得られるマシーンなのであった。



つづく



地=血










タイトルの他にあえて述べたいことは無い








かぶかないなら、カブ






私は若い頃はとにかく、奇をてらってナンボだと思っているカブキ者でした。バサラとかパンクとかキテレツが、大好きでした。

今でもそういう嗜好はなくはない。けれど、もうあまり無理はしたくない(笑)。根っからのカブキ者ではないのかもね。

通勤でカブに乗ってます。50CCだとキツイとおもうが、110CCなので片道20キロの走行に問題はない。それどころか、オートバイに、これ以上のナニカって要る???ってほどの完成度を感じます。

また他にも、身に付けるモノから使うモノから食するモノから何から、定番品のスゴさといふものが身に染みて判るようになってきた。


でも、疲れたときなんかには、125CCくらいのスクーターが一番ラクでいいかも…と思っちゃったりなんかもします。ま、クルマが一番ラクだけど。

でもね、やっぱりね、どんだけラクか=どんだけ最高か ではないんだよね。

どんだけ便利か=どんだけ幸せか ではないのだよ。


映えなくてもいいしバズらなくてもいい。そうゆうのも『=実力』ではない。負け惜しみとか達観したフリとかじゃなく、んなもん当たり前の事実だということが、ようやく身に染みてきた。

『結果』バズるとか、『結果』便利とか、そうゆうことはある。また『結果』聖中心とか覚醒とかいう境地?もあんのかもしんないけど、『結果』だろうよ、そうゆうのも。
ではそれは何の結果か。

私は、それは、努力とか修行とかの結果だとは、おもえない。
其れをしている『ソイツ』が、結果を求めてやまない張本人だからである。







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