スサノオに退治されたヤマタノオロチの腹から出てきたという『アメノムラクモの剣(のちに草薙の剣に改名)』。
神話は『象徴』であり『史実』ではないとしたら、剣も剣として実在はしていないということになりますが。さてどうなんでしょうね。

かつて、隕石を加工して作られた剣が、世界にはチラホラあったのだという。明治維新頃の日本とか、19世紀のロシアなどにそのエピソードがある。そして逸話にとどまらず、エジプトのツタンカーメンの棺から出てきた短剣の成分を解析したら、隕石由来のモノだったということが、数年前に判明したらしいです。

ヤマタノオロチは『実在』でなく『ナニカの象徴』だとしても、アメノムラクモの剣は実在したモノだっただろうか。。
あ、てゆうかスサノオ自身がオロチを斬ったときの剣は何ていうやつだっけ??
ま、いいや。とにかく、私は、隕石と剣の、人類史的スピリチュアル的関係の深さを感じずにはおれません。

さらには、私は何でもかんでもボディワークとの関連を見出だしたくなるタチです。隕石ニュースに興味津々になったのも、知的好奇心が刺激されるというよりかは、シンタイがどこかしら共振するのです。

よって、シンタイに響かない歴史解釈や科学的常識やスピリチュアル話には惹かれない。響くのだったら話はべつだが。
昨今のワクチン騒ぎとかは何にも響かない。

陰謀論とかは、そんな闇の勢力が実在するのだとしても、つまるところは『投影』だろうよとかんじてる。
神社の様式にはシンタイの様式がすごく象徴されているようにかんじるけれど、これもまた投影だ。カガミである。あらゆる現実はフラクタル投影されている。
そして次回
『人類フォトン計画2
聖十字真氣とイエスキリスト』
につづく