慢性的な首の不調をなんとかしたくて、凄腕の鍼師を尋ねたという人がいました。
しかしその人は鍼師に、『あなたはクサイからダメ』と施療を断られたそうです。
その話を聞いて私は、へえぇと感心しました。
その人の体臭がヒドかったわけではありません。鍼の名人はうまいこと言うんだなあ。
で、私が施術しました。良くなりました。
凄腕の鍼師よりも私の方が凄腕だからなのではありません。
そのときその人は『クサくはなかった』から。それだけです。
突発的に首が回らなくなり、私を頼ってきた人がいました。その人は全然クサくなかったからね、私はその人の肩を人指し指で軽く十数秒ほどタップしてあげた。そしたらすっかり治っ ちゃった。
マズい給食なんて食わなくていいに決まってる。食うまで座らせられる必要なんてないんだよ。私は言う。さあ、早く校庭に行こうよと。
町田康が、口訳の古事記を書き上げたらしい。ものすごく興味がある。きっと面白いはず、いや絶対につまらないってことはないはずだ。
原文を読もうが解説を読もうが今イチなんだかピンとこないというか痒いところに手が届かなかった感が、スカッと解消されているかもしれません。古事記が伝えようとしたことを現代人が解釈するには、学者脳の翻訳では真髄が抜け落ちてしまっている可能性が高い。今話題のチャットジーピーティとかいうやつに翻訳させるとどうなるかは知らないけど、それよりも町田康の感性を私は信頼している。
私は職質を受ける頻度が人並み外れて高い(笑)
近年は、ああまた来たねゴクロウサンとしか思わなかったけれど、なんだか新米警官の練習台にも使われているような気もするので、じゃあちょっとこっちの暇つぶしにも付き合ってもらおうぢゃないのとばかりに、あえてやや不審な挙動や発言などをして、研修を受けてもらいます。
彼らのカンは、鈍いわけではないとおもう。私は根っからの社会的不審存在なのですから(笑)しかしあなた達の探しているブツは何にも出てきやしませんがね。
警察の人に限らず、ソチラ側の感性の人達は、私を怪しい奴と思ったり、プチ恐怖を感じるらしい。しかしそれも致し方ないのかもしれない。私はもしかしたら、『心底絶望している人』もしくは『心底笑っている人』しか信用しておらず、それ以外の大多数の人を、逆に『疑いの目』で見ている目つきをしているからです(笑)
どーでもいいんですけども、みなさんこぞってチキンレースをやめられなくなってませんか。
頭脳力の拡張 の象徴的存在であるAIがもたらす社会的恩恵は多大である。が、『思考』はどこまで速く明晰であっても『遅い』ことに変わりはない。思考能力の特徴は『管理能力』である。あらゆることを管理しきれればすべては上手くいく…のだろうか?生態系ネットワークには優れた知性が存在しているらしいことが判明しているそうですが、さてその生態系ネットワークの知性を頭脳力が把握しきれるものでしょうか?頭脳力はどこまでいっても生態の一部位なのではないですか。
我々は脚力の拡張として自動車を使う。だが、これさえあれば全く歩かずに生きていけるということにはならない。
ニンシキA(ミ)、ニンシキB(フ)、ニンシキC(ヒ)が織り成すシンタイセイメイの躍動について次回記す。今回はプラーナの吸い方。プラーナは坐骨の内側からもしくは踵から吸う。