『理想の恋人』という言葉は使われても、『理想の親友』という言われかたはあまり聞かないじゃろ。
ボディワークでやしなわれるボディは、理想の恋人か、それともボディと親交を深めているのか。どっちをやってんだいコラ
ってことだよ。
ソウルメイトをツインレイとか言い換えても、人種差別を次元上昇とか言い換えても、
やってることは変わらないのである。永遠に。幻想の実現によって得られるのは幻想か絶望です。
『ありのまま』『今を生きる』も、言葉にした途端に、それについて考えた途端に、理想の恋人 に変貌する。
♪シンタイコウするなら こうゆう具合にしやしゃんせ シセイ! シセイ! よよいのよい
(シンタイ拳)
ボディワークといえばどれもこれも大抵、呼吸と姿勢の訓練であるが、呼吸と姿勢のどちらか1択しか出来ないとしたら、私は即答で姿勢と云える。
呼吸も姿勢も、つまるところ『何もしない』に帰結するとはいえ、呼吸法にハマると何かといろいろ出来てしまう故に、外道邪道化しやすいからだ。では姿勢術はそんな落とし穴など何もないのかといえば、、あるにはある。
仙腸関節の中心緊張をつくる姿勢に長けると、いろいろ良いことがあるから、そこで満足しやすいのです。だが、そんなものは、後生大事に抱えていてはダメなのだ。一切合切ドブに捨てろっていうんだ。
私はとても欲深い。強健や人生好転などではぜんぜん満足しない。
物にも冥利があるじゃない。
ーーー樹木希林
実践から滲み出る言葉と、スローガンを押し付けられているように聞こえる言葉では、こんなにも響くものがちがうのかとおもわずにはいられない。青いなあ俺、まだまだ青いなあ。
地球も青いけど、丸いんだよね。丸さは色っぽさ。
次回『一流クラスの役者でも敵わないような演技をデビュー作でカマシたオジサンが、名ダンサーの田中泯だったというのは、中心練修会の新年会のときにSSさんから訊くまでは、気づかなかった』
♪誰かが 貴方を褒めそやしても 私は 姿勢を崩さない
(椎名林檎、旬)
プレスされても崩れないシセイは勿論のこと、持ち上げられても舞い上がらないシセイも肝要です。
半端ない努力をしたとはいえ『たまたま金メダルが獲れた』選手と、とるべくして金メダルをとった選手には、大きな違いがあった。
価値は外側にはないのである。次回、不自由と自由は別々のものではないということについて、シンタイ動作を例にして解説してみたい。
昭和四十年代生まれの私としましては、トランスフォームロボットといえば、ライディーンかキョーダインしか思い浮かびませんが、今回話したいのは人間のトランスフォームのことです。
忍者とか柔術の達人とか名役者とかは、トランスフォームシンタイなのではないかと思われますが、人格障害などは、ちとバグっている。
即座にあからさまに肉体の造形が変貌するようにはできていないのが人間ですが、ワタシは、シンタイの三角フラクタル構造を動かすことで、かなり変幻自在なことはできるとかんじる。
でも、いかに身体パフォーマンスを自在にするかって事よりも、肝心なことをおざなりにするべきではありません。
人は自己を定義したところからは動こうとはしないのです。それを辞めたいならば、それを辞めるしかありません。
それを辞めるのは、『そうなっている自分』つまり定義された自己の状態のチカラによってではなく、定義以前にあるジシンによるチカラなのです。
♪花瓶に水をあげましょう こころのずっとおくのほう
(THE BLUE HEARTS、情熱の薔薇)