私たちは、ボディワークにおいても、法といったような名前が示すとおり、法を学んだり実践したりします。

しかしそれは、何か特殊な手口を会得するとか、特別なルールで自分を縛るとかいうことではない。


『天衣無縫』というコトバがあります。天女の衣は細工や技巧を凝らして良くつくられた服ではまったくない、という意味合いでしょう。
しかしスピリチャール系でよく言われる『ありのまま』とは、『自我が』ありのままでいたいがための、言い訳に成り下がっています(笑)。
そのアリノママでいたって、一向にコトは進まないことでしょう。つーかそれは天衣無縫というより、生地をかぶっているだけである(笑)。

しかしまた、
どんなにかよく出来た靴でも、裸足のクオリティには永遠に到達できないのである。すごく良くつくった道路の下で、大地は窒息するのである。



迷いの衣を脱いだとて 悟りの衣を着てはなあ
(相田みつを)


ボディワークとは、その名の通り、ボディそのもののワークですけれども、ボディをあつらえるワークなのではありません。シンから裸にならなければ変えようがないことがある。真意から無縫でなければとれないシセイがある。







つづく