今年を振り返…らない。

骨盤とアゴは対応関係にあるように思います。よって歯も然り。主は骨盤で従はアゴだと思うのですが、歯の治療の仕方によっては、逆に骨盤の繊細な活動を妨げることもあるように思います。
これは難しい問題ですね。歯医者さんは骨盤や全身のバランスを診た上で治療するわけではありませんから。


話は変わります。数日前に、体の内なる動きを観察してたら、自分は魚なんじゃないのか?って錯覚をしたのですが、それはそれでおいといて、魚って、狭い水槽の中ではイジメとかするんですよ。以前観光地の水槽で見たことがあります。ナマズがジャイアンみたいにのさばっていて、コイがスネ夫みたいにナマズのご機嫌を伺っていて、フナか何かもうボロボロでわからない魚が村八分になってポツンと一匹だけいたんです。


話は変わります。
そういえば以前、自分はこれから龍になる。と将来設計を決めた時がありました(笑)。「ブルース・リーのようになる」ではありません、龍です!。なんなんでしょう。十代の時に「将来は木になろう」と思った時もありましたがそれは今年の夏に叶えられたんで(笑)。


人は変わります(笑)。
でも変わらない何かがずっとあるようなこの感じはなんなんでしょう。それ以外のすべてのものは変わろうが無くなろうがほんとはどうでもいい。昨日の自分とか、いらないっていうかもう無い。少しあるけど(笑)。昔の自分とかって、もう過去世みたいなもんだ。現世だけど(笑)。過去世?知らん。
…あ、魚かな(笑)。 終。

みそか

今日のお客さんも、ちぶる整体ならでは的なケースになりますので紹介します。

本日とりたててドコも調子は悪くないけれど来ていただいた理由は、当ブログを読んで「当人に会ってみたいと思ったから」(笑)。

それで結構だと思います、有難うございます。それでも整体を受けて、体のシルエットが別人のようになって帰っていかれました。サメがタコになった位の変わり様でした。ちょうど1年の終わりですし、ミソギが出来たことでしょう。

割引などのサービスは全く考えていないどころか2倍に値上げしようとすら考えたりもしてますが、今のところは当アパートでひっそり営んでいきます。ピンときたらスッと電話してみてください笑。

ジャミラにはなりたくないが、マモーにはもっとなりたくない。チブル星人にもな(笑)。

脳科学が振興中で信仰中で、人工知能がドンドン進歩中みたいですけど、どうなるんでしょう。手塚治虫の「火の鳥」で描かれた、人工知能に全てを委ねた挙げ句に滅んでしまう未来とか、藤子不二雄の21エモンやモジャ公で描かれた、脳だけ進歩しすぎて超退化してしまった人達がいる星とかをすぐに連想する私は、いかがなものか…(笑)


十年近く前に両手を骨折したことがあって、両手が使えないという状態で、いろいろなことを感じ、いろいろなことを思ったのですが、いろいろありすぎるのでほとんど省略してまとめて今日の話題につなげますけれども、脳って、モニターとかスクリーンのようなものでしかないように思うのです。


科学もスピリチュアルも結構なことであり、脳機能に神性を発見したり脳裏に神を感じたりするのでしょうが、それはモニターとかスクリーンだからなんじゃないのかなと 思うのです。

それだと単純化させすぎかもしれないのでもう少しつけ加えるなら、信号機みたいなものなんじゃないのかな。

冬至 明け

体は、バイブレーションを発しています。それは鼓動や脈動よりも細かいものです。何らかのボディワークやメンタルトレーニングで獲得するものではありません。生きている人全てに与えられているものです。いや、それが命でありそれが私達と言った方が適切かもしれません。

「思考」はキメが粗いので、思考で自分をコントロールすることは、繊細な命のバイブを拘束することにもなりかねません。キメの粗い感性では、細かな細かな波動をとらえることは出来ません。
感性の生みの親は感性よりも細かい波動だからです。

今私が知覚しているよりもずっと精妙なバイブレーションが、どこからか、どこまでも、発せられているような気がします。それは「私」というくくりが些細でキメの粗い「出来事」のように思えるほどの緻密極まりないものなのでしょう。



カット! OK!

「ポジティブ、ネガティブ」を良い悪いではなくフィルムのポジ、ネガに例えて今日の記事をお読み下さい。

屈筋、随意筋、アウターマッスル、交感神経、顕在意識は、ポジです。 伸筋、不随意筋、インナーマッスル、副交感神経、潜在意識はネガです。ざっくりとした二分割ですが。

例えば前回の記事で「何もしない」と言っている抽象的な表現を生理学的に言うなら、ポジ主導の活動を辞める。ということです。表れるもの(ポジ)のベースには、写したもの(ネガ)があります。

まず誰でも、写すという機能自体は、行われます。そこから個性(プログラム)が動きますが、何をどう写すか、編集するかしないか、が行われます。

「写したもの」を「映している」のが、目にみえる私達の日々の活動です。
映しているものを変えようと思うなら、写しているものを変えなければ、何も変えられません。
機材のメンテナンスも大切です。

何をどう写して映すかは、アナタの自由です。カメラマンであり監督であるアナタの自由です。


つまり私達は、最初から、自由なんです。




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