寝ても覚めても




♪夏のホ〜ハヒ〜〜

(森山直太朗、曲名知らない)


閑散とした浜辺にポツンと建つ無人のプレハブの監視小屋。爽やかなライフガードの若者達も去った場末の海水浴場の侘しさといったらそりゃあもうたまりません。ここしばらく海岸で小銭を拾うことはありませんでしたが、今日、ハズキルーペを拾いました(笑)。小さな文字が良く見えます。

昼寝中に、夢の中で中心姿勢についてあれこれやっていました。その内容は文で説明しきらないので割愛しますが、目が覚めて起き上がると、なんと、体感が変わっています。姿勢術に進化が見られます。それもかなり深味を増した進化っぷりである。中芯の力の明確度が変わった。


普通、夢は夢であり、現世の現実ではありません。たとえ夢で椎名林檎とチチクリ合えたとしても、目が覚めれば林檎のリの字もない現実があるようなことばかりでしょう。 だが、私は夢でもボディワークをしたとき、目が覚めて(ああ夢だったか…)とはなりません。

寝ていようが起きていようが、まぎれもなくやっているからである。



次回予定
「サニワ的にボディワーク」






真方陣(まほうじん)



肥田式強健術で云うところの「腰腹同量」を、シンタイコウ的に表現させていただきます。

それは、大腿骨と尾骨と坐骨と恥骨に、等分の力を掛けて立つ或いは座るということです。この真方陣の中に上体を乗せるということです。


風水術というと、一般的にはゲスなものに成り下がっているといいますか「御利益ゲットのテク」みたいなイメージになっているけれども、本来はそういうものではないはずです。
そしてボディワークは家相や環境にではなく身体に風水術をかけるようなものなのだ。



次回予定
「審神(サニワ)とボディワーク」








ガラケーの男

















(サイレントニャー)
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自由自在なる真の中芯



スピリチャルの実践とかバシャールのメッセージをいくら聞いても一向に変わらず堂々巡りしてしまう人が沢山いて、スピリチャルジプシーという言葉すらあるみたいですが、では、脳科学系のメソッドやる人とかはどうなってんだ。あれはあれでジプシーが沢山いるんじゃないのか?

そしてボディワークジプシーはどれだけいるんだ?

「気持ちとは裏腹に」なんだか練習がはかどらない、または練習してもしてものぞむ結果が得られない、という人はどれだけいるのかしりませんが、「ほんとうはヤル気なんてない、そもそもボディワークなんて愉しくもなんともない」場合を除いて、2つの原因が考えられる。それは「ハート、もしくは正中心に対応しているある身体の場所が閉じられている」からだ。

以前から言っていることですが、私は脳は創造の場所とは到底おもえない。脳はモニターだろうよ。人が「考えている」場所は、別のところにあるのである。ちなみにそれは肚ではない。「ハラで考えよ」という言いかたもされるけれど、ハラは考えないです。

少し前の記事で、仙骨は身体の雛形だと書きました。
仙椎と腰椎の接合部に相関するのは、頸椎最下部、第5チャクラあたりなのです。ここがカチカチなら、腰を反ろうが脳を鍛えようが、努力は報われない。

肉体スポーツは三日も休むと鈍るのは普通ですが、単純なボディワークで、三日休んだらすっかり鈍るとしたら、この場所のイシキが全く開かれていないからだ。



つづく





達来



ラグビーの日本代表候補に153p53sの選手がいるらしく、低いタックルで100sを超える選手を倒すのだそうです。

私はラグビーのことはてんでわからないので「へぇ〜」とおもうだけですが、ふと、内家拳の教室に通っていたときのエピソードを思い出しました。


通常なら週一で通う教室に私は週二で通っていましたが、さらにハイペースで通っている人がいました。その人は元ラガーマンで、教室内を見る限り一番ゴツイ体をしていました。


練習メニューには「推手」がありましたが、老若男女が集うその教室においては、推手といってもガチで勝負するような稽古にはなっておらず、ハッキリ言って「なんとなくこなす」ようなものでしかありませんでした。

しかしある日のこと。
推手稽古がはじまって間もなく、バターン!と音がして、教室の空気が一変しました。稽古熱心な元ラガーマンが、指導員の人を吹っ飛ばしてしまったのです。クンフーではなく筋力で。

私は内心(やっぱり‥中国武術なんて所詮…)といった想いがわきかかりました。が、そこへ、体の一番小さな指導員の人がスゥーと元ラガーマンのところへ行き、手を合わせました。元ラガーマンは、アッサリと何度も吹っ飛ばされました。


私の記憶では、その小さな指導員の人と手を合わせると、他の人とは大分違う感触でありました。力の引っ掛かりが感じられないのです。こちらが押しても、ヌルヌルとした泥沼に手を突っ込むような感覚しかありませんでした。そこからカウンターのようにドスンと打たれてしまう。

それはいわゆる「駆け引き」とは違うものでした。



次回予定
「自由自在なる真中芯」






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