インフォメイション

私の身勝手なボディワークのことを、ここで文字で一方的に述べたところで、誰かしらの何かの参考になることは無いような気もしていますし、デタラメ密教チックな内容の記事を書くこともほとんどの人にとって無意味あるいは有害かもしれないので、記事の趣を少し変えていこうかと、考え中です。


今後シリーズ化したい記事プランを発表しておきます


☆ エロ川柳

☆ スピリチュあるある

☆ 私とオウム真理教

☆ 俺世界の妖精妖怪図鑑

☆ オレカジスタイル








僕の名は。




悪い子はいねがー!!

(ナマハゲ)



先日、中国の幼稚園で園児の口にカラシを放り込んで虐待というか躾というか、まあ虐待をしている動画が大問題になっているニュースがありました。私も幼児期に、ヒイオジイサンに唐辛子を食べさせられて ギャンギャン泣きわめいたことがあったらしいのですが、覚えていません。ですからどんな悪さをしたのかも覚えていません。

幼児期に叱られた思い出で覚えていることが1つあります。ある日私は家の前に風呂敷を広げ、自分の持っていたガラクタの数々を並べ、即席フリーマーケットを開催しました。隣近所のあまり年の違わない子がやってきて、何かを1つ買っていきました(五円で)。お互いに、その売り買いゴッコが楽しかったとおもう。金銭の授受をすることのリアルさがまたエキサイティングだったし、イベントの楽しさ&五円ゲットの大興奮で私は飛び上がって家の中へ入って喜びを爆発させました。

そしてその直後、冷水を頭から浴びせかけられるように、ヒイオバアサンに叱られた。「あんつーワリイこどすっだ!(なんて悪いことをするんだ!)」と。つまり私は人をだまして金をせしめてハシャイでいるとんでもないガキだというジャッジが下されたみたいです。
ションボリ→閉店ガラガラ。苦々しい思いで五円玉を握る私。

そのときに私の中で「金を得る」「楽しいことをして金を得る」「人を楽しませて金を得る」等々のことに対して複雑な心理トラウマが刻み込まれてしまった、のかかどうかはよくわかりません。


中学生のときの美術の授業で、お面づくりをしました。私が作った作品は先生に絶賛されまして、美術室に展示されていた記憶があります。美術が得意だったわけではなく、たまたまそのお面には、激情とユーモアが絶妙にブレンドされ、オモコワ?な異形さが醸し出されたのでしょう。その後の授業の課題で何をつくっても、先生の評価は「お面は良かったのに」というばかりでした(笑) 。


あのときのお面をかぶって、今の私が、五円玉を手にしてハシャイでいるあのときの私に、近寄ってみる。

悪い子はいねがー!



その満面の笑みに、泣けてくる。














ブラックセルフ

きのう、シンタイコウ「ニルヴァーナ」「ニルヴァーナブレス」をして瞑想状態に入りました刹那、なんと、ハラに黒いケモノがいるビジョンが観えました。私は腹黒いヤツだったんですね。悪霊に憑依されていたとかいう感じではなく(あ、これ俺だわ)とおもいました。

なぜ即、その黒いケモノが俺だとおもったかというと、見覚えがあったからです。それに、それは俺なんだから即わかるのは当たり前です。親しみすら感じました。

こういった幻想は、夢見や前回記事のイメージ法のはなしなどと同じで、原則、個人的なものですし、禅ではこういうものは魔境といい、いちいち関わることなくやり過ごすという話を聞いたことがあります。
でもね、あっさりやり過ごせるんだったら、そもそもこんなビジョンなんか出てこねーんだよ。

十何年ぶりかに再会したワタシ。真っ黒いケモノ。また会えたね、俺。そこにいたのかい。なかなかやるじゃないか。




つづく と思うけどこの話文にすんのチョーめんどくさい


シンボル

イメージ法におけるそのイメージはそもそも、シンタイからの情報を偶像化したものである。 イメージの発祥はシンタイのリアリティからもたらされています。ですからイメージ法を他の人に伝える場合、伝える偶像と、訊く人のシンタイのリアリティがマッチしないと役に立ちません。ヘタをすれば誤解となる。




ナンソの法ならぬ「コウソの法」を紹介します。お得意のシンタイコウアレジナルです

ナンソの法を御存知かつ肥田式や禅をやっているかた、かつ、ダジャレなネーミングにピンとくるかたにはわかる程度に説明をさせていただきます。

たとえば肥田式強健術の本動作とともに、コウソの法にて非常に大きく重い物体を天上から頭上へ落下させます。それはとてもとても重く固いです。それに対してまったくつぶれない姿勢を、キメるのです。

落下してくる重量物はシンタイに当たって砕けます。デカくて固くて重い落下物が砕けるほどのシンタイには中心軸に「ダイヤモンドのオベリスク」が立っているのであります。ただし、落下してくる「エネルギー」はオベリスクが受け入れ、シンタイを貫通する。


以上、これがコウソの法であり、私のシンタイのリアリティを偶像化したはなし。







我が人生に一片のクイなし

私が子供の頃、町のあちこちにポスターが貼られたことがありました。全日本プロレスが興行にやってくるというのです!

メインのスターである馬場やブッチャーよりも、ポスター写真の下のほうに小さく写ってたマスクマンウルトラセブン、私はこのセブンが強いのか弱いのか気になって気になってしょうがなかった。雰囲気的には端役である。だが、あのウルトラセブンだで?宇宙人を倒す、かのウルトラセブンだっぺよ?

しかしよく見ると、セブンにしては相当アバウトなフェイスである。まるで子供が落書きしたジャンボーグAである。私は興味を失いました。

ポスターの最下部には「小人プロレス」が紹介されていた。
現代は小人プロレスは消滅したのでしょうか?差別行為だとされるのかな? では、ガリガリプロレスとかジジイガリガリプロレスとかだったらいいんじゃね?そしたら俺、ガリレスやりたい。

棺桶に入って入場。テーマ曲、コスチュームは時計じかけのオレンジを踏襲する。必殺技は「ウルトラバイオレンス(無茶苦茶に殴る蹴るだけ)」。ライバルは江頭2:50と、マスクマンエヴァンゲリオン。ガリレス人気到来。自叙伝「死にたくなければ死になさい」を出版。売れる。文化人の仲間入りをする。椎名林檎との対談が実現する。対談終了後、プライベート「体談」が実現する。対談は週刊新潮に載り、極秘体談は週刊文春に載る。文春の見出しは「私はヘビにそそのかされた」 。 のち、私のリングコスチュームはイチヂクの葉を1枚股間に貼り付けるだけとなる。

その後一般市民からのクレーム→私がツイッターでつぶやく「迷える腐れ子羊どもは黙っとけ」→大炎上→謝罪→引退→ガリレス下火→消滅。


20年後。TV番組「あの人は今」に出演。その頃はもう肉体が半物質化しているので私の姿は画面にはボンヤリとしか写らない。ヤバイよヤバイよと話題になる→復活→冠番組「昇天させてもらえませんか?」にて、バイクで全国のパワースポットに祈りを捧げに行く。鎮魂させてもらえませんか?ってね。







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