シンタイコウは、ハラ腰をキメるために胸を開くのではなく、胸をひらくためにハラ腰をキメるものなのだと、かんづいた。
つづく
三宅先生の教室へ初めて行き、体験入門をしまして、その後の飲食時(第2練修会)にした会話を覚えている。言葉そのものを正確に記憶しているわけではないが、言われたことの主旨はこうだ
君は死に場所を探している
私は
これで正式入門を決めました笑
その通りだからです。
何年か前の夏。陽が西に傾いて、いくらか暑さが和らいだころから、暮れて、星がひとつ、またひとつと輝きはじめ、やがてすっかり満天の夜空になるまで、海岸のひとつ処でただただジーっと、座り込んでたことがありました。
エンドオブエヴァのエンドロールを覚えている人はいますか?バックで渚に佇む渚カオルの映像を。
G線上のアリアが流れる中、ずっと同じ映像のままですが、ゆっくり、ゆっくりと陽が暮れていて、ほんとうに美しいフィナーレでしたね。まるであんな感じに、あの日あのとき、ワタシは渚にいてたのです。
時というものは、デジタル時計や、クォーツ式時計の秒針のように、カチカチと刻まれているわけではまったく在りません。呼吸をするように流れているのです。
肥田式強健術は、呼吸停止何秒でどーのこーのと動作が説明されていたりしますけれども、私は吸気と呼気の合間に、イチニッサンなどとカウントしながら強健術をやった事など、ほぼ無い。
そういえば、しばらくバックベンドと寸突きエクササイズは、行ってない 。 けれども、出来なくなってはいないという確信はあるし、それは勘違いではない。『昔とった杵柄』なんてものではない。やってなくとも『現役』だからです。腹筋運動やスポーツとは訳が違うのです。
これらは、たんに基礎的な体運動に過ぎないのである。この基礎的体運動が出来ない人の方が圧倒的に多いと思いますが、なぜかと言えば、当たり前ですが皆、基礎的体運動すら出来ていないのです笑。基礎的運動をしないでスポーツやらのパフォーマンスばかり求めるからです。つまりは、意識の基礎がスカスカだから、なのではありませんかね。手厳しいことを言うようですが、それが事実でしょう。人は往々にして、早く足し算をしたいのです。
ゼロでいることがイヤなのだ。
簡易強健術で、両の手をパチンと叩いて合わせる動作があります。これをおざなりに行わず、ゼンシンでキッチリ叩くのがキモ。
静寂とビッグバンは、イチニノサンてな順番ではないのであり、別々のものではない。
ミミを脱力しなさい。