♪卵を産むアタシには 此処でカリプソ踊るしかないの (ROSSO,カリプソベイビー)





数日間、ひっどい頭痛に見舞われてました。

何をしてもしなくてもガンガン痛く、正座なんてしようもんならガンガンガンガン痛み、当然運動なんてすべて休止。


だったのですが


じっくり入浴して首をよく温めて、多少緩和してやや落ち着いて、ふと、 ある独特な呼吸を2、3回したところ、、なんとあれほどひつこく続いた痛みが、一瞬で消えた!

のちにいろいろわかった。そしてまた後日、あらたな動作が開示された。これについては後述するとして、

余談を。

著書『天真療法』で肥田さんが、『人は病では絶対に死なない』と言い放ったその真意が、わかったような気がする。

私の理解はこうだ。
個体の多くはたしかに病で亡くなる。が、肥田さんは『ヒトは病では絶対に死滅しない』と言いたかったのではないか。

ヒトはかつてより、ウィルスのおかげで進化してきたらしい。胎盤をもつ生態になったのも、ウィルスに感染したことが発端だったことが判明したというのです。とはいえその時点ではまだ全然ヒトではなく、哺乳類の起源。だがそのかなり後にまたウィルスにかかり、脳がパラダイムシフト的に発達したらしいのだ。
では今後、現人類が何らかのウィルスによりまた大きく生態を変える時期がくるとします。それはいつなのか。
それは
長くて600万年先、短くて『来週にでも急に』。

男性のY染色体は、永い永いときをかけ、徐々に徐々に短くなってきているのだという。それが消滅するときが、おそらくまたパラダイムシフトが起きるときだ。だがもうすでに、Y染色体を持たない男性はいるらしい。
そしてそもそも、LGBTの人でなくとも、染色体的に見た場合、ヒトは全員、ほんとうは性は確定してはいないのだという。生死やチャクラと同じに、それはスペクトラム(グラデーション)のように曖昧なのだそうです。いつだって変異する可能性を持ち合わせているのだそうです。

つまり、ウィルスに感染することがトリガーとなり、Y染色体は根絶する可能性がある。
つまりそこで旧来の『典型的な男性』はいなくなる。
ではそこで人類が繁殖できなくなり絶滅するのかといえば、そうとは限らない。ただし大きな転換期を迎えることになる。それはただ単にY染色体が無いだけの男性のみが存在し、表面的には変わりばえしないとは、私は思えないですね。もっと何かが大きく変わるとおもう。
あるいは、ウィルストリガーが、永いときをかけ弱ってきたY染色体の復活に寄与する可能性もあるのかもしれませんが、、ここ数千年位続いたであろう男尊女卑的な時代が、復刻するような流れではないよね、今。

あくまでもシンタイコウ的私見ですが、従来の男性的チカラの使い方、つまり表層筋力マッチョは衰退するとおもう。

少なくとも、シンタイコウは『力鍛練一切不要』が超加速しました(笑)
たぶん私の体のY染色体は、もうヨボヨボなんじゃないかとおもわれます(笑)あるいは何らかの変異が起きてるんじゃないか。個体としての私は今、非常にリスキーな橋を渡っているところかもわかりませんな。
でももう、ハンドルは自我の手の内には無い。


余談が超長くなりました。よって『天上天下真我独尊体操』については、またあとで。記す。予定。は未定。







ジュウシンは 両《腕》の中央に落とす。





シンタイコウが研ぎ澄まされると、逆に身心の歪みを感じることもあります。 それまではそれを気づくことが出来なかったからです。


肉体(および肉体意識)で肉体(および肉体意識)を改善しようとすることには限界があります。ホメオスタシスが強力に働きますし、肉体意識からは肉体および肉体意識の全貌は見えないのです。

肉体(および肉体意識)は、全自己のうちの推定5%でしかありません。5%の能力からは5%未満のものしか見えません。

人はよく、肉体能力や思考能力を上げたいがために、肉体や脳『で』肉体や脳『を』エッチラオッチラとガンバって鍛えたりします。たまにその限界を超えたならそれを『ゾーン』とか『努力の成果』とします。

また、悟りとかアセンションとかを目指す人は、推定5%の肉体意識(つまり自我)が、100%の境地に行きたがっている。たまに5%を超えたならそれをナンチャラの境地とか修行の成果とします。

しかしながら、『5個では足りないアンパンを、あと95個足し』ても、満たされることはありません。





つづく


人生五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻のごとくなり





睡眠から覚めてまず、天井板が視界に入りました。

子供の頃の家宅と同じではないから、当然天井も子供の頃に見てたやつとは別物ですが、なぜか、3才だか5才だかの頃に、独り、布団から見上げていた天井と、同じに見えた。



最近、巣作りが一段落した様子のツバメのつがいに会います。
いつもなら近寄るとすぐ飛び去ってしまうのですが、足音のしないサンダルを履いていたからか?それとも先日の野良猫と同じに、私の気配が察知 できないのか?しらんけど、たぶん♀ツバメは巣の上で、たぶん♂ツバメは少しだけ離れたところから見張るようなポジションで、静か〜にしておった。
が、水を流す音でやっと反射的に飛び去った。




私は、まだ幼稚園未満の頃は、独りでとても静かにしていたらしく、別の部屋で仕事をしていた親はよく(あれ?死んじゃったかな?)と思ったらしい(笑)。私自身の記憶としても、たしかに独りでジーっとしていたような場面がよく浮かぶ。

幼稚園児以降は、ごく近所の子のところへ遊びにも行きましたが、よく突然バックレるように帰ってました(笑)。
そしてちなみにその20年後、私は『横浜ばっくれ隊』というヤンキー映画に出演しました(笑)。
あ、でもバックレ隊の敵のグループ役でした。 バックレ隊の面々は、今となっては人気芸人になったピコ太郎もといコサカさんとかがいました。 私演ずる敵の副番長はたしか、電気椅子に座らされ、バナナマン日村がスイッチオン→失神させられました(笑)


あれからまた20年以上たちましたね。
私は相変わらず独り、 静かにしていたり、座ったりしています。電気ショックでなく天地ショックを受けながら(笑)(笑)








TVエヴァシンジの巻き巻きの一瞥体験では合点のいかなかったファン達の、誠心。





『悟った人』が『悟ったフリをした人』を一発で見抜けるのは、『リキミの無い人』が『脱力してるフリをしてる人』に触れるなり一見すればすぐそのリキミをとらえてしまえることと、似ているんじゃないかとおもう。

悟ったつもりの人も、リキンでないつもりの人も、フリをした人を見抜けることもあるだろう。

でも、自身が『つもり』でいることはなかなか見抜けない。 よって魔境とかいうものが存在します。


たとえば、胸式であれ腹式であれ、すんごくデカイ呼吸ができたとします。それは問題ないし、浅い呼吸しかできないよりイイことがある。
でも、たんなる健康法としてでなく、神秘メソッド的なアプローチで、呼吸を使って変性意識にもっていったり、うまく(というかヘタに)身心コントロールができたりすると、たぶん、人は、傲慢になる。生は自分でコントロールできると。


そして何故、ただしっかり座るだけの禅行に、禅病なるものが生じたりするのでしょうか。また、九年座りっぱなしで結局悟れなかったという達磨大師のような逸話があるのでしょうか。


メソッドやシステムは、すぐれればすぐれるほど、往々にして、たった1つのあるものが欠落します。
大ヒット曲がやがて懐メロになるのか名曲になるのか、はたまた何らかのメソッドがカリスマ一代で終わるかそれとも受け継がれていくかは、たった1つのものがあるのかないのか次第でしょう。




次回予定
『ジュウシンは両《腕》の中央に落とす。』








輝きは飾りじゃない ガラスの五十代。





『エクスジェル』という素材が、福祉や医療のベッドや、トヨタの純正オプションのシートクッションなどに使われているらしく、高性能らしいです。

座布団仕様の商品は高額にもかからわず人気で、坐骨や尾骨に圧がかからず、なおかつ柔らかすぎることなく確り姿勢を保持し、なおかつ動きやすいのだという。

低反発でも高反発でもないがリラクシン&フレキシブル。とにかくどんな姿勢でいても疲れないらしい。
重力のストレスから解放され、楽で、自由。言うことなしですな。

でも裏を返せば、ソレに頼るということが即ち不自由です。


よって私は正坐を研き、シンタイそのものチカラだけで、坐骨にも尾骨にも腰にも脚にも負担をかけない姿勢をとりきろうとしているわけです。

着座姿勢は寝姿勢や直立よりも尻と腰に負担のかかるリスクが高いゆえ、姿勢術においては、実はある意味、一番ハードな練習なのである。
そして一番逃げ場のない行為が一番自由をもたらすという、この世界の妙といったら!


んだけれども、ですが。

よく腰の入った姿勢を決めきるだけでは、、

まだ不自由である。

それだけでは到達点ではありゃしない。


なんらかの状況や制限により、腰を入れる姿勢をとれないとします。姿勢を決められないから出来ませんとか勝てませんとか、本来のチカラが出しきれませんだとか、そういうのはただの言い訳です。ここまで厳しいことを言うと自身への跳ね返りがキツイですけど(笑)、それが真実である。


よく練った身体に頼るだけなら、エクスジェルに頼ることとさほど違いはありません。
身体は心地のよい椅子であっても『自由』『チカラ』そのもの ではない。脳メソッドとかで思考の書き換えとかしたって、それは『幸福』そのものではない。


直立姿勢をとれたら自由になれるのではない。
自由が直立姿勢をとらせるのです。あるいはとらないのです。





つづく

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