『刹那(せつな)』とは『むなしい、その場かぎり、刹那的』っていう意味では本来はなく、超最小単位の時間というか、ほんのほんの瞬間をあらわす、仏教語です。


地表では、0秒は存在しません。身体があって身体意識がある以上、ゼロポイントには居られないのである。

エゴの変身願望で『悟り』『正中心力』『大周天』『覚醒』『アセンション』などなどを求めても、一切合切は獲得できない。『エゴ=時間の産物=ゼロポイントに存在できないモノ』である以上、永遠&絶対に、到達できるところなど無いのである。修行をしようが死んだフリをしようが。



真空なるものも、じつは宇宙空間にすら存在していないのだそうです。どこまでいっても薄ーい大気があるというのです。ただし、星と星が引き合っている力の真ん中(5対5に釣り合っているであろうところ)らへんだけは、真空になっている可能性はあるのだそうです(でも解明作業は行われていないらしい)。


シンタイ宇宙も 、真空が生じる可能性があるのは、引き合う力が合一しているところだけです。肥田さんはそれを『腰腹同量』と表明し、体現した。
だがフツーなら、人は、だだっ広い宇宙空間のワンポイントをとらえることなんて至難のわざである。けれども、探さないことには見つからない。シセイを決めないことには、ソレは無いのである。

刹那くね。