♪咲いた 咲いた チューリップの花が
♪開いた 開いた シンピの扉が 並んだ 並んだ 上下中丹田 どの華みても 氣霊だな
ハートチャクラが、もし、先天的に弱々しかったとしても塞がっては居ないのだったら、そういう人は、ことさら胸部を拓くワークやヒーリングは、事細かな手法を編み出したりレッスンしたりはしないのではなかろうか。
たとえば肥田春充。
私は肥田式強健術の全貌を詳細には知らない。強健術で胸に特化した鍛練といえば、第六動大胸筋運動と、胸式とかでひたすらデカく膨らます呼吸法しか知らない。
最終形の『聖十字操錬』? では、完全に胸がひらいているようにおもえるが、あれはもうボディやマインドを部分的にどうにかする運動とか超えている。腰腹にも身体内のどこか一点にも、中心など据えておらん。『中心だから』だ。
そしてこれも私見の所見の推察ですが、肥田さんがダンベル鍛練を早々にに捨てたのは、ハートが弱くとも塞がってはいなかったからではないのか、と。 本人は捨てた理由を理学的に述べていましたが、ハートチャクラが塞がれてしまうような感覚とかも、実はあったのじゃないかしら?と。
開いているということと弱々しいということは矛盾しない。開いているからこその繊細さ=傷つきやすさ=弱さ、な人は少なくないはずです。
それが苦しくてハートを『塞ぐ』方に向かう人もまた少なくないですが、そんなタマじゃない人もいる。
塞ぐ余力なんて、すでに持っていないのだ。
『天草四郎』は、実は、戦うキリシタン少年『達』の通称ネームだったということが判明しているらしい。
それならば、自分は天草四郎の生まれ変わりだと言っている人や、霊能力者にそう言われた人が複数いても、全員ウソつきでも妄想でもない可能性はあるわけです。
が…きっと、その人達の記憶?や霊視?は、ジャンヌダルクのような唯一無二の英雄像しか見えてないんじゃないかとおもう(笑)。
もし歴史家がその事実を明らかにしていなかったら、自称元四郎達も霊能者達も誰一人として、天草四郎は何人もいたと、リーディング出来なかったんじゃないの?? (笑)
しかしながら私は、霊能や前世について、大槻教授のようにコキ下ろすつもりは全然ありません。心理ロマン風にでなくDNAの謎的に見て、関心がある。
私達は、少なくとも何千年か何万年かの間、『死んだことがない』のである。
一度も死滅していないでしょう。つまりDNA細胞は切れぎれにはなっていないのだ。
機能が不明なままだという大多数の DNAジャンク細胞は、解明されたアカツキには改名されることになるはずです。実はジャンクじゃないことが判明するのだろうから。 ナニ細胞と命名されるかはわかりませんが、いづれは解明されても不思議じゃなさそうな機能を予想するなら、
『自分の出生後の記憶よりも昔の過去についての記憶を思い出せる』ことだ。
直接血統がつながっていない人の記憶を思い出せることだってあり得るだろう。量子について解りはじめたばかりの現代科学では未だ荒唐無稽なことかもしれないが、ジャンク細胞と量子の解明具合がクロスオーバーしたなら、量子コンピュータよりもはるかに高機能なのはヒトのDNAだった!となるかもしれないんだよ。『ヒトとヒトの間でジャンク細胞が交信して情報を分かちあう』とか、ぜんぜんあり得るとおもいますよ。
ジャンク細胞のボテンシャル=ヒトのボテンシャル、だろう。だからこそヒトはこんなもんでしかないとは限らないのである。
また、ヒトの脳機能も、まだ全然解明されていないといいますが、
私は、どちらかといえば脳科学研究よりもDNA研究に力を注いだほうがいいんじゃね?とおもう。
ジャンク細胞が解明されてゆくことで脳機能もまた解明が進むんじゃないのかとおもう。その逆はないとおもう。
というかどっちこっち研究以前に、ヒトはやるべきことがある。
それはボディワークで細胞をアンジャンク化することだ。つまりシンタイコウをするのだヽ( ̄▽ ̄)ノ
今、ただちに私の細胞を調べるがよい。
どっからどう調べてみても、人並み以上にジャンクかもしらんけどな(笑)ヽ(´▽`)/。