ハートコアストレッチ

スポーツトレーニングでは「体をイジメぬく」とか「シゴく」とかいうけど、真体功ではそんなこと絶対にしない。型を100回やるとか、10回やるとか、ノルマは絶対に課さない。思念にハンドルを握らせて身体を操作しても、身体は伸びないからです。100回やって得られるものは100回やったというエゴ満足だけ。シゴくのはチンチンだけで十分。


力士の股割り稽古って、今でもギュウギュウブチブチ開かせるやり方なんだろうか?知らんけど、私は開脚をそんなやり方で出来るようにはしなかった。開脚は気持ちいい のだと、感じて知ることで開くようになった。
前屈も、無理に上体を曲げることに頓着していてもロクなことはない。上体は曲げるのではなく下に落ちるのです。


とにかく、「鍛える」というやり方で私は野球が嫌いになりヘタになっていったという経験があるもんだから、このテの話は強調していいたくなる。 ヒトはやりたいものは「勝手に」「好きなだけ」やるものである。


身体は、思念よりも直感になつく。直感とは相思相愛なのだ。







チューシンニング

前屈運動とバックベントと真体功動作をしてよくよく氣づくのですが、
腹(前屈)でもあるが腹ではなく、腰(バックベント)でもあるが腰でもないのが中心(真体功)です。

ハラとコシはとても重要、ですが中心力とはハラの力でもコシの力でもなく、正に中心の力なのである。

それは器の中身を満たしたようなチカラの充実感ではないのです。
フタも底も無い。透明、絶対、全肯定、無限。デカイことを言っているつもりはありません、ただの事実です。


TVエヴァの最終話で、シンジ君は椅子に座ってさんざん頭を抱えて苦悩したあげく、「僕は僕でいいんだ!」とか言ってハッピーエンドを迎えてましたが、

「僕は僕でいい」とするのは精神的に出す結論ではありませんよ。
シンタイに出るのである。それに、イイも悪いもありゃあしないのです、「コレしかなくね?」ってかんじ。ガッテンとは正に是。








頑張らなくていいんだよ、張りきるんだよ。

西表島で農家の手伝いをしていたときのはなし。

何の作物だったか忘れてしまったけど、栽培地の土について教えてもらいました。その土には砕いた炭が混ぜられていました。そうすることで作物の根の張り具合が変わるというのです。引っこ抜いて実際に根を見たら、今までこんな根っこ見たことないなというほど、多数にひしめきあう根が生えていました。土の栄養をくまなく吸い上げそうな細かさでした。土から「ズボッ」と抜けるようなかんじではありません、「ブチブチブチブチメリメリメリメリガボオゥ」でした。


身体訓練にて下丹田や足腰を鍛えるというとき、普通はガッチリと鍛えてしまいます。今ドキのトレーニング法は昔ほど大雑把な鍛練ではないとはいえ、基本的に強く太くしてナンボの鍛え方をしているようにおもえます。

このブログで何度も書いてるかもしれませんが、足腰や丹田を固めて強くするやり方は、真体功としてはあり得ない。
脱力といったら脱力なんだ。

足腰まわりは静かにしていないと感じとれない関節がそこかしこにある。「北風と太陽」じゃないが、強い呼吸やイキッた姿勢では関節は動かなくなるばかりである。
二つ前の記事で(真体功教室をやるなら‥)的なことを書きましたが、今記事でいえることは、真体功教室をやるなら、身体の鍛練など一切やらない(笑)し、操作法など超後回しでいい。

炭のまぶされた土みたいな空間場の教室にすればいいのかな笑
下は土、上には大きな三角屋根があるといいのだけど。
結果、教室というより一風変わったリラクゼーションサロンてことになるのかな(笑)。






元も子もアイナリ

腰だろうが、腹だろうが、仙骨だろうが、身体はそもそも、これすべて「部分」なのである。


では身体をどうこうしたところで中心は、中心力は得られないのか。はい、得られないとおもいます。


肥田春充は身体をどうにかした結果中心力を得たではないか馬鹿者め、とおもわれるかもしれませんが、私は、そうはおもわない。

聖中心に至ったというときの彼の記述は
「純真なる本我において」ひたすら強健術に没頭していたとき…的な表現だったと記憶している。

純真なる本我…私はそれがそもそも中心力であったのだと感ずる。肉体や肉体意識では、チュウシンをどうこうすることなどできない。チュウシンが肉体をどうにかするのだ。

純真なる本我。これをまた肉体意識やスピリチャル知識で理解しようとしないほうがいいとおもいます。

肉体や肉体のエクササイズや肉体意識を否定しているわけではありません。肉体や肉体意識は、主人ではないというだけです。肉体や肉体意識は、部分力9の脇役であり、「観る者」なのではなく「観られるもの」なのである。






真体功のルフラン その‥3だっけ? 4だっけ?

今はあるのかどうかわかりませんが、10年前だったか20年前だったかに、「トリニティスクール」という、古い英国製のバイクを持ち込んできた人に自分のそのバイクを一から組み直して走らせることまでを指導する教室を開講しているところがありました。

つまり整備業でも販売業でもない。

うーむ。

私の仕事にたとえるならそれは、整体屋さんでもサプリ屋さんでも氣の注入屋さんでもないわけです。身体を持ち込んできた人に、直接一方的に何かをしてあげるのではなく、大切な自身を自分で一からなんとかしていく術をおしえるというわけである。


うーむ。


英国の旧車に乗るつもりの人は、そのバイクに愛情があり付き合っていく覚悟もある人だろう。プラスチックの乗り潰した原チャリでそんな教室は成り立たないだろう。
単なるエエカッコシイで英国旧車に乗りたい人もお呼びではない。


うーむ。


自分の身体はできるだけ自分でなんとかしたいという人が集まれば…真体功教室もありえる‥かなあ。でも体操であるが体操の仕方じゃねえんだよなあ真体功はなあ。

うーむ。







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