サダメ

恥骨坐骨尾骨(第1チャクラに相当)が定まれば仙腰椎(第2チャクラ)は定まり、胸椎12番(第3チャクラ)が定まれば肋骨胸骨 (第4チャクラ)は定まり、頚椎7番(第5チャクラ)が定まれば 頚椎上部頭部(第6、7チャクラ)が定まる。

定まる、とは固めるということではなく、定まるということだ。定めるということだ。定め修めるということだ。足や手の力での支えは要らない。
それらの場所はチカラの出所である反面、チカラの詰まり所でもある。 そして、それらのどこかしらを支点にチカラを使うとチカラは出るものの、その反作用も必ずある。
ではドコを、ナニを支点にすればいいのか。

それら総てを滞りなく貫くモノに、である。




あるがまま ないがまま

火事場のバカ力 を発揮しているときというのは、漫画や映画っぽく「ぬぉぉお!」なんていかにもな超気合いを入れているわけではありません。 ただそれをやってるだけ、というウルトラフラットな状態です。

新聞を突き破る練習や上体を起こす練習のときに気づくことなのですが、拳や体に「やったった感」は何も残らない、「いかにして」上体を起こすかなどという身心の分離などない、そんな「何もない」のがベストなんです。手を振ったらその途中にあった新聞紙が破れました、上体を起こしたから起きました、ほんとうにただそれだけ。

整体術もそう。はじめはツボを捉えた感や何かをしてる感を学ぶ。しかしそれを超えると感触は無くなってくる。「やってる感」は限り無く薄まる。

でも、そうできるまでにチューニングつまり出来ないこと出来ること両方を味わう、知る、といった経験を踏むのが私達のやり方でした。

肥田式簡易強健術やそれを模した真体功法でも同じようなことがいえる。肚腰に得る力感は、ある意味、ドアをノックしてるようなものです。あるいは昔のテレビの手回しチャンネルを変えるときの、パクっパクっという感触。

しかし真の目的とは、行為とは、開いたドアの向こうに行くことであり、変えたチャンネルの番組を見ることです。中心力にリキ感は無い。中心なんて、相対的には絶対に無い。しかし、無い=ただそれだけのことを行うために、私達は、中心とか火事場とか、出来るとか出来ないとか、無くない&タダじゃないことをわざわざやってきているのです。見事に。



あぁ あれは最後の女神

まぎれもなく キミを待ってる

あぁたとえ 最後のロケットが

キミを残し 地球を捨てても


カンワ キューダイ

ちっ。また今週も1位、ルビーの指環かっ

むっ。この中島みゆきって人、なんで毎回出演しねえだ?

♪マリコの部屋へ
電話をかけて
男と遊んでる芝居
続けてきたけれど


そんな木曜日を過ごした小学生時代。しかし中学生のとき聴いた中島みゆきのアルバム「寒水魚」から流れてきたのは、悪女が唄う悪女でした

♪んマリコのへぇやえぇ ん電話をかぁけってぇ
ぅオトコとあ そんでる し ヴぁい つーづけぇてぇきたけれぇど

わたしは大人の階段をのぼりはじめたような気がしたのだった…

兄の部屋からはブラックキャッツ、YMO、佐野元春が聴こえていたが、ワタスはその頃とにかく中島みゆきしか聴かなかった。
♪ あの娘誘ってサ店に 行ってもちっともダメさ(ブラックキャッツ)
♪泣きたい夜に独りでいると尚更に泣けてくる (みゆき)
♪テンテンテーンテッテッテテッテレレテッテー (YMO)
♪悲しみばかり見えるからこの目をつぶすナイフが欲しい (みゆき)
♪だからもぉ一度あきらめないで真心が掴めるそのときまで サムデイ!
(佐野元春)
♪ うらみます うらみます アンタのこと 死ぬまで (みゆき)


このときすでにこの兄弟は今に至るレールの上を走りはじめていたのだろう(笑)

♪エレーン 生きていても いいですかと 誰も問いたい エレーぇぇン!! ← ジャニスジョプリンのシャウトを聴く以前に、私は壮絶な叫びを浴びていたのだった。


世良マサノリと甲本ヒロトは少し似ている(笑)




キープオブライフ≠クオリティオブライフ

下丹田でもハートチャクラでもサードアイでもどれでも、人それぞれ、そのうちのどれかが発達しているとか開発させているとか、傾向がある。

それは元々チカラを発揮していたトコロかもしれないし、弱かったゆえ鍛えて研いたおかげで強くなった、かもしれません。
どちらにせよ、まさにそこが使われる反面、そこに執着も起こる。そこに「自分」があるという感覚を持つから。先天的に強かったトコロなのか弱かったトコロなのかは、どちらでもよいが、とにかくそこにフォーカスしておく必要が私達にはある。
しかしそれは、そこまでは、因と果の世界においての話である。


肥田春充は限りなく弱かったハラを鍛えた。非常に強い人になった。そこまでは因果である。しかしあの大正何年だかの夏の夜、それをも捨てたんだ。尋常じゃありません。


私は私の、長い間シカトしていた上肚を、しかと観ている。





カツ丼、食うか。

刑事ドラマで、犯人が「自白する」「落ちる」といいますが、身体脱力もそれにソックリです。自己に自白して落ちる。

決定的に違うのは、落ちて受けるのは罰ではないということである。認めるのはズレやワダカマリ、リキミかもしらんが、罪じゃねえんだ。

スイーツは別バラといいますが、氣はもっと別のハラに。 権力は人を変えてしまうといいますが、肚は人をモトに戻す。


しかしほんとに、ブログを書く作業はレコーディングであり、真体功&整体はライヴであり即興である。別物だ。よく読んでくださる方々は何をどのように興味をもって読んでおられるかは知らないが、私自身の渾身のレコーディングは数回前の「浦島チブロウ」である。スルー気味に読まれた可能性を感じなくもないが(笑)、実は、書きたいことなんてアレがすべてと言っても過言…過言だなそれは過言だ。 が、

レコーディングはライヴのオツリみたいなもんである。や、ライヴ後の打ち上げみたいなもんである。や、打ち上げの居酒屋でするウンコみたいなもんである。


次回リリース予定「愛しています」 特典特にナシ ボーナストラック特にナシ。



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