すべらないすべる話

本気って書いてマジっつうんだったら、本音って書いてマコトじゃ。



子供のピュアさを引き合いに出して時々記事を書いていますが、子供=純粋ではありませんからね。未発達なだけです。

そして、「純粋な人」と「不純な人」がいるわけではありません。

今回記事では思考=ズルと言い切らせてください。ズルは、ズルという行為であって、ズルな人というのは居ない。ズルばかりする人というのはいるとしても。

ズルは、誰のものでもない。で、ズルをして生きていくことが耐え難い人がいます。多かれ少なかれズルをすることが生きていくことだとする人もいます。ズルと進化論を比例させる人もいます。
ズルが全く出来ない人もいます。その多くは、脳に障害があるとされる身体とともに生きる命だったりします。

ズルを駆使して生き抜くことが喜びであったり人間の義務であると決めた人には特に何も言えることはないのですが、そうではない人には言える、
それは 元々アンタではない。ソレは もともと アンタでは ないもの。

要るか要らんかはアンタが決めれ。ソレに決めさせていないでアンタが決めれ。





メンドクシャー話 身体編

愛さんコメント有難うございます。



インナーマッスルの働きが一般的に知られるようになってから、運動理論やアスリートのパフォーマンスは向上したみたいですが、「筋膜」の働きがもっと知られるようになれば、運動にも治療にももっと進歩があると思います。
が。

解剖生理学や心理学を追求したところで、私は得心できない。

知識があるのと無いのでは大違いです。が、それを追求して、進歩はあっても深化はないので私は追求まではしない。

随意筋(筋肉)にしろ不随意筋(内臓)にしろ、思考はそれに干渉します。思考が干渉することのできないのは、「本意筋」です。そんなもの無いけど(笑)。それはケイラクということになるのかなぁ… う〜ん どうだろ。

ま、シャレで言ってますが、本意筋はね、意識や身体を分割、分断、分析したところには、立ち現れてはこない。あと、不本意な行為をしている時にも。理論や学はどうしたって分析分割編集みたいな行為だから、本意筋なんて「無い」ことにしかならない。

ちぶる整体は本意筋アプローチがメイン、その他はオマケです。で、マッパ式強健術は本意筋の養成です。




メンドクシャー話&マッハ式強健術の話

愛さんコメントを有難うございます。



書くのも、読むのも、メンドクサイ内容の話をかきます。書ききれるかな。読みきらなくても結構です笑

現世利益的なゲット人生を辞めて、修行とか断捨離とかスピリチャリズムに熱中したとしても、それはゲット人生だしカルマゲームに過ぎません。 現世利益ではない(と思ってる)利益をゲットしたいんです。断捨離してキモチ良くなってる自我を捨てませんね。「気づき」を「ゲット」していますね。

「ではどうしたらいいの」
…「どうしたら」。 正しい行為や理解のゲットを望む質問です。

「では何もするな何も考えるなとでもいうのか!」

「しない」「考えない」ということを「する」それは、何でしょうね。

では「無為自然」「全肯定」ということ?。…その他何でもいいけど、言葉にしてパッケージ化した途端、即「それではないもの」になります。それに、「気づきの記憶」は日ごとに腐敗します。「神秘体験の記憶」は猛毒に変わります。


と、言っておきながら何かをゲットする気で強健術を行うワタクシ。…いや、違うかな…ま、どっちでもいいけど型は肥田式には無いものに変貌しております。面白い型になった。1発決めるだけで十分です、現世利益的にはね(笑) 。
回数を増やす必要は無いのだけど、放棄しきれないリキミは、ある。バイクに乗り始めて間もない頃、怖くてリアブレーキを無意識にウッスラかけて走ってたみたいに。



二人が夢に 近づくように





♪アイハミ 珍

ユーハミ 宝?

ウ! ウィハミチンポゥナッポゥアッポゥピーン

おい宝さんよ、随分脱力してるわりには全身カッチカチやないの。

(ん〜メデューサと目が合っちゃってね。いやしかし珍さん、アンタの云う脱力ってのは、この姿勢でええのんか?)

ちとチゲーんだけどよ。つったってもう姿勢変えられないじゃんか。

(ん〜まいっちんぐ。でもま、いっか。愉しいし)


♪ニィニィサンイチナナサンナナキュウ
ハッキリ決めた チブルに決めた 気功に行くならチ ブ ル 電話はナァミンナコイ(7379)




はちきれそうだ 飛び出しそうだ 生きているのが 素晴らしすぎる

愛さん 随分熱いコメントを有難うございます笑 。


小さな子はまだ「わかる わからない」という思考は始まっていない。やがてそれが始まるとともに、時間の世界に旅立つ。

ブログで言い放つのとは裏腹に、リキミ(思考)で一杯の今朝の散歩、「えっと、ええと、ん〜と…」 などと固まりながら歩くハミチンは、向かいから来る子を単なる風景としか認識せず、何か言った言葉を、単なる音としか認識していませんでした。
すれ違い樣、女の子はもう一度同じ言葉を、私に向かって言った。
『どうじょ(どうぞ)!』
ん?とその時やっと思考以外の世界を認識した私。全く全く穢れの無い瞳の女の子が差し出していた手のひらには、

何も なかった。

その姿は、『完璧な答え』なのでありました。


全身フルチンもとい天真爛漫は、全ての答えを知っている。そして全ての答えを知っていることを、知らない。

半身ハミチンは。




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