営業日記で括る今年。の巻


1回の施術で、定期的にギックリ腰を発症するクセが消えたHさん、1年半過ぎても再発しないまま、今回は久々の来店で1年の疲れを癒していきました。

腰は完全に健全であるとは言い切れないものの、かつての状態とは違って、普通の腰痛になる時はあるだろな、程度の腰でした。

元々あるエネルギーは、光りのように存在しています。それが活動する時、人の心身は本来に近づく。椎間板がガタガタであるとか、鬱であるとか、その症状とは違う光りの道筋を見つけるたび、人は治るチカラをいつだって失ったりはしていないと、確信します。治る人も嬉しいでしょうが、私も嬉しい。

嬉し嬉しの仕事をできる喜びを、感謝します。皆様、有難う。




踊る大中心線 第三話


「部長、日が暮れてきましたね…このままだと何も見えなくなってきます。ヤバくないですか。もしかしてアテが外れているのでは…」

「オマエは何を焦っているんだ? いいか、日暮れとホシは確かに関係はあるが、我々がしているのはホシ探しじゃない。それに、今オマエが見ているものは、張り込みで見ているモノじゃない。オマエの不安な心だ」

「…!」

「何も見えないということは何かが聴こえるかもしれん。何も見えないということは何かが動くかもしれんじゃないか」

「なるほど、プラス思考が大切ですね」

「違う!ボケ!このハミチンが!静かにせんか!」

「…達観、ですかね…」

「黙れ!そのオシャベリをやめろ。何でもかんでも言葉にしてわかったような気になりたいというその自己催眠を、やめろ!」
「……………………」

「日が暮れたぞ」





踊る大中心線 第二話

「部長、差し入れです」

「おぅ。ん?オマエは食わんのか」

「断食中です」

「ほう。そしてこれは豆乳とクルミパン。オマエも捜査のイロハがわかってきたようだな」

「部長のおかげです」

「世辞は要らん。さて、捜査の基本の氣とは何ぞ」

「足を使え、現場に行け。そして観察です」

「ほう。オマエも捜査のヒフミがわかってきたな」

「部長の…いや、自分でも気づいてきたことです」

「頭にのるなよ。氣にのれ」



事件は脳で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ


氣 身
魂 心

「…部長、これは?」

「バラバラだな…鑑識に回せ」



体は心を表してます。心は体を表します。ものの見事にね。

心と体の不調を心と体で何とかしようとするのは、バイクがバイクを治そうとするようなものです。

氣は心身と「存在」の間にあるものです。氣によって血は動き、存在によって氣は動きます。氣は存在の声です。



「部長、これは…」

「よし、お前は足ドリを追え。俺は張り込みを続ける」



たまにはこんな話。

愛さんコメント有難うございます。



記事は、書くのも勝手だが読む人の理解や感想もまた勝手なのですが。

観念ぽいことばかり書いてると思われてもつまらないので、今回は現実ぽいことも書こう。

キネシオテープを御存知でしょうか。痛めた筋肉に合わせて貼ると治療効果が高いスグレモノですけれども、アレがなぜ効くかというと、伸縮するテープがその筋肉の働きを代行してくれるからです。すなわち休養させてくれているわけです。 ハイ、ここでヒラメキますね。脱力系メソッド、とりわけ肥田式をするときに、無駄なチカラを抜くのに有効であると。つまり、大リーグボール養成ギブスの逆バージョンとなり得るのです。

おそらく大抵の人は、肝心要の腰腹の力を抜くどころか、入れてしまっています。そして入れてしまっているが故に、脱することが出来ません。そこを無理矢理、キネシオテープで脱力させるという裏技なのです(笑)。

どこにどう貼ればよいかは、さすがにめんどくさいので書きません。解剖学知識と実践に余念がない人ならわかることかと思います。重要な話をひとつ。リキミというのは筋肉の中腹じゃなく、端での出来事です。つまり関節を動かさなくさせていることがリキミなのです。キネシオは必ず関節をまたいで貼ります。筋肉は必ず関節をまたいでいるからです。

中国武術をしているなら、手足のケイドウに沿って貼ってみてもいいんじゃね? 以上、自分では試してもいないことなのに書きました。この記事こそ現実的じゃなかったりして(笑)。

お客さんでリクエストがあった時は、試してみたいと思います。



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