「俺は腐ったミカンじゃねえ!」

科学的根拠は何もない、荒唐無稽的妄想的な記事を書く。


ちぶる体操、ちぶる整体はDNAの覚醒を促す作業なんじゃねぇのか。

DNA細胞の大部分は「ジャンク細胞」と名付けられていて、何の働きをしているのか全く不明だという。…しかしそのネーミングは科学が名付けただけであり、本当の働きがジャンクなのかプラチナなのかクリスタルなのかだって不明だということでしょう。

私の経験では、解剖生理学とか健康常識とか一般的な整体の技術とか心理学とか、そういうのは「遅すぎ」て、使い物にならないことがよくあると感じている。「まちがい」とは言わないが、遅い。遅いってどういうことかについては今回は面倒なので書かない。

気功を微弱電流とかプラシーボ作用とか誘導催眠の一種として断定したり、心は全て脳機能で説明できるという今ドキっぽい解説は、遅いとは思わないが、「腑に落ちない」。

不明なモノをジャンク呼ばわりするセンスと、不調を病気、病人として診断するセンスは似ている。だが私は整体や対話セラピーに訪れた人の不調が、むしろ何かの潜在能力の声に聴こえるようなことがある。


現状の枠組みの中の健康や幸福を望む人には向いていないことを、私はしているのかもしれないが、現状の枠組みの中ではにっちもさっちもいかないのだという苦しみや不調の人には向いていることをしているようには思えます。

…というわけで、DNAの覚醒変容を真剣にお望みの方、御来店をお待ちしています(笑)。




マッパ式強健術 改め ちぶる体操 (笑)

1 上丹田の型

基本姿勢が整います。頭から腰にかけてビッとします。

2 中丹田の型

横隔膜より上の内臓及び筋肉に良い刺激があります。姿勢はさらに決まり、空間に心身は広がる。

3 下丹田の型

横隔膜より下の内臓及び下体の筋肉に良い刺激があります。姿勢はさらに極ります。本当にできれば、引力と自己とがつながる。

4 トドメの型

上下左右に広がったチカラを収縮爆発させます。全身に良い刺激があります。 これでオサメ。


1つの型で1つの丹田をどうこうするということではありません。どの型でも上中下丹田は串刺しにされます。丹田は意や力を込める所ではない。空ける所です。此は通路を作る運動です。

リキミを捨てない限りはただの体操になってしまいますが、特に下丹田の型で肚のリキミを捨てるのは至難の業である。リキミを捨て、全身を引力に委ねるまえに、カリソメの力を入れてしまいがちになるのです。しかしこれはいきなり出来るものではない。それに、肥田式で言うところの聖中心力というレベルには、そもそも私自身至っていない笑。

既往の力感から離れて未知の力を受け入れるのは、容易にできることではありません。だから日々の練習で、徐々にしていくのが普通です。全く認識できないチカラは定着しない。逆に心身をぶっ壊してしまうかもしれないから。
がしかし。積み重ねてため込む力を養成するわけではないのです。開く。開くのだ。



現象

「ありのままの自分」でも「最高の自分」でも何でもいいんだけど、自分というものを定義するとき、遺伝と習慣と実績と趣味と嗜好とスペックと自己演出、等々を総合したものが自分なのかというと、違います。それはデータに過ぎません。

「自分」とは「自らを分ける」と書きます。ナニかから分けたモノのことを「自分」という。


ちぶる整体の手法は、カリスマ気功師のシャクティパット、的なものではないので、私がなにかスゴイ事をしたという印象づけは薄いですし、人によっては、自分が自分の治癒力で治したという実感しか持たないかもしれません。実際にそれは、勘違いではありません。その通りです。

合気道の達人に投げられても、達人のチカラで投げられたのか自分が勝手に飛んでったのか、よくわからない感じだと云われています。それと似たことではありますが、ここで私が整体の達人だと言いたいわけではなく、「自分」つまり何かから分けたチカラで治療するのは本髄ではありません、ということです。何らかの修行で積み上げたチカラではない。むしろ「自分」は使わなければ使わないほどいい。
でもそれをもっと突き詰めて純度100%のヒーリングをしようとするなら、人間であることを辞めてパワースポットとか水晶玉にならないといけません(笑)

やはりそこは人間であることの利を生かし、相手の主訴や肉体の不具合を具体的に訊く、観ることが出来るのだす。それが人間たる所以のヒーリング。でもね、人間だけの都合、自分の都合のチカラ、治療は行われない。これはミソ。




胸を開く。

肥田式強健術は腰腹のことがとても重要視される。でも、同じくメッサ重要なのは、胸部だ。 マッパ式がそうなのだから、ベースとなった肥田式がそうじゃないわけがない。

肥田式に限ったことではないが、「ひとかどの者」になろうとして、こういうものに取り組む人は普通に多い。肥田式を見て、ちょっとやってみて、「カッコいい」とか「楽しい」と感ずる人は多くないと思う。ヨガは近年、オシャレになった。入り口が浅くとっつきやすくなった。肥田式は最高レベルにオシャレではない。そんな今ドキに肥田式をやっている方達というのは、本当のセンスがある求道者か、或いは野心の持ち主か、切実に健康になりたいという人かのいづれかでしょうか。私がどれに相当してたかは言いますまい。

ですがね。何者かになろうとする野心は、決定的に肥田式の動きを妨げます。その場所は胸です。

胸部の底は横隔膜と大腰筋の起始。中央に中丹田、ハートチャクラ。頚椎7番から下の胸椎上部へは、エヴァファンじゃないかたゴメンナサイ、エントリープラグが挿入されます(笑)…これ重要やで。

でまあ、いろいろあるのが胸でありハートなんだけれども、諸々の野望や臆病風や何やらの、胸にあるリキミは、肚より下へ捨てなけりゃ、肥田式及びマッパ式は出来ない。出来ないのである。

恐怖や不安の根源は「死」 に対するもので、突き詰めればそれは「エゴの死」に対するエゴの恐怖だったりするわけですが、ハートがそれを抱えたまま、それが自分自身であるかの如く癒着しているのが、われわれリリンです。

肥田式をオシャレにプロデュースするなら、ここまでのことは云ってはオシマイだ。
でもマッパ式は個人的なものだから、それは、俺の、自由だ。自らに由る自らの動きである。自らであるための。


上達のミチ

一通りの型を覚え、太極拳や形意拳の練習をしていた20代初期の頃。

なんも出来ていませんでした。

格闘技が好きな人やコンタクト武道をしている人、ケンカ自慢の人達などは、中国武術を嘲笑う人が多数でしたけれども、それは、中国武術を本当に出来る人があまりいないから、当然といえば当然です。中国武術はフィクション、ウルトラマンには背中にチャックがあるのと同じこと。みたいな印象が一般的だったと思います。


今、私は、ほっといても中国武術的「使える動き」は出来る。武術家ではないしケンカが強いわけでもないと思うが、できる。

中国武術、合気、東洋的ボディワークはすべて勁の運動です。筋力、スピードの運動じゃありません。スポーツ界で言うところの「体幹」じゃありません。勁がなけりゃ何もはじまらないし、何も育つことはありません。

では勁はどうやって身に付けるのか。「集中と観察」によって、です。私の経験では、ガムシャラに立禅や太極拳の鍛練をしたわけではありませんし、スポーツ科学もオカルト修行も特定の信仰はしません。

個人的な諸々のエピソードは省いて誰にでも共通するであろう極意だけを言うなら、ただ、カラダとイシキを観察していたら、「勁が在った」のです。要らないものは手放したら、見つかりやすいです。何が要るもので何が要らないものか、これもまた観察により判明するものです。欲求とはちょっと違います。





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