三ヶ月前に施術したっきり、母親は以後ギックリ腰にも腰痛にもなっていないという。
一体いつどこでそんな技を習ったのと聞かれたとき、テキトーに答えた。 が、ここでは率直なことを書く。
習っていません。
ではなぜそんなことが出来るのかについては、ブログの所々に書いてるので毎回読んでおられる方はなんとなくでも理解をしていただけるかもしれませんが、ブログ内容を理解する人にだけ効き目があるわけではありませんので、整体する時、いちいちゴタクを並べたりはしない。
効き目が優れることをやるようになるほどに、技も理屈も消えていくからなぁ…
のーくらい。
秋の虫達が鳴いている。 リーリ リーリ
チェチェチェチェ
プループルー
ンチャンチャンチャチャス
知里幸恵さんという大正時代のアイヌ人を御存知でしょうか。その人のアイヌ神謡の日本語訳が、とてつもなく美しい。
「銀のしずく降る降るまわりに。金のしずく降る降るまわりに。」
…これ何だと思いますか。 フクロウの鳴き声ですよ! カミサマー!
幸恵さんの書は、アイヌ神謡の訳だけじゃなく序文からして果てしなく美しい。
そして、世界中の先住民族の悲しみとか美しさとかを知るたびに、大爆発したくなります。
ふぁっく。
ヒトは素直になって先人達が培ってくれた叡智を学び受けとる場合と、虚になって本我本体の叡智と合一する場合がある。 後悔のない未来との約束を果たす場合もある。
肥田式強健術はまるで体内で弓道を行うが如き運動である。体内に弓がある。矢がある。的がある。そして的に矢が当たることが到達ではない。
的に矢を当てることが道ではない。
自分の尻尾を追いかけ回す犬に遊びあるやなしや。自分の尻尾を追いかけ回すヒトに苦行あり。我思う 故に抵抗あり。
一切のドヤ信念 ドヤ決心 ドヤ覚悟 不要。
私が子供の頃の昭和の玩具に、空気で膨らませた等身大の起き上がりコボシ(パンチングなんちゃら)てぇのがありました。
単純にいうならボディワークとはそんな身体にするワーク。
胴体底面の三角氣に重みをつける。重みとは体重ではない。完全な脱力による骨格バランスが引力、張力、磁力と和合して結晶構造体になる、その基点である。
腰は「反る」のではない。 下からの反発力で持ち上がって「入る」のである
胴体内は空間である。呼吸で外から入れて溜め込む空気ではなく、内から 膨張する氣圧によって中芯胴はできる。
勃起したチンコはキモチのいいものですが、全身全霊フルボッキはチョーキモチいー。なんも言えねえ。が、 読者さんを手ぶらで返すわけにはいきませんから、この記事が役に立てば幸いです。
下肢の脱力が大事です。 体を支え、動作をするところだから、力は使われます。が、ゆえに、そこにリキミが混じることが感じにくいというわけです。
坐骨で歩け。坐骨で確り歩く。すると、ズン!ズン!と、自然にカカト着地は叶う。そしてズン!ズン!と、正中心とおぼしき処に刺激が入る。 ズン!ズン!。
下肢がそうして確かにチカラを通しているならば、いちいち上体の脱力をあーでもないこーでもないとやる手間は存在しない。 スピリチュアルにわずらう時間もいらない。脳トレ?いらん。足腰の筋トレはこの足腰の氣呼吸を困難にするとおもいます。細く緻密に広がる根です、下肢は。
肥田式の気合応用術というのは、歩行応用術といったっていいのではないか。よし、真体功で歩行応用術と名乗って肥田式をまたパクろう(笑)。
次回予定「葉脈のごとき、掌」