(出雲とは何処ですか?)


『ハラの下』



30代の頃、スピリチュアル電波中年だった私は、チャネリングめいたことが時たま起こった。チョー真剣な思いというのか、透き通ったようなキモチ?で、質問を、天空なのか異次元なのか『質問の故郷』になのか、よくわからないところに投げ掛けると、即答が返ってきた。

上記の問答は、地平地図上の話にはなっていない。天地シンタイのチズの話になっているということは当時も承知したけれども、だからといって即ハッキリとイヅモをタイカンしたわけではなかった。

肥田式強健術で云うところの『踵の踏みつけからくるチカラ』は、肉体主導のチカラではありません。
肉体脚力の強弱でモノをいわす運動ではあきらかにない。
肉体の質量を重力と係わらせて発する力ではないのです。

踏みつける足(重心)は、地下の只一点に、吸い込まれるが如く落としきる。
すると会陰から、火山の噴火みたいにドーンと吹き上がるチカラ、というかヴァーンと磁力が強く発生するような、それにすっかりしっかり身体ば乗せるのです。そのとき肉体感覚は無いに等しい。
ところでサーファーが波に乗っているとき、自分の肚や下肢とボードと海の区別は、はたしてあるのだろうか?あんまし無いんじゃないのかな。


…と、言葉で説明するのは簡単ですが、じっさいは、そのチカラは強く、変圧作業のようなことがうまくおこなわれないと、逆に身心は不調にもなり得る。原因不明的な痛みに襲われたりもするでしょう。肉体や思考でのコントロールなどブチ抜いてしまうので、変化に対する防衛反応というかホメオスタシス的な反応が、それに抵抗することもあるでしょう。

しかしそのチカラを『自然の脅威』とか『邪悪な蛇』の如くに忌み嫌うのは、かつての西洋的な発想だとおもいます。また、蝦夷を討伐してきたという日本の歴史もまた、其のチカラを封じ込めてきた、ヒトの、シンタイの歴史と重なるような気がします。でも、自我が発達するためにはそのようなプロセスは必要だったのでしょう。



踏み込み&反発力において、会陰は玄関。
『おもいきり踏みつける』といっても、股に力は込めませんし、股で力を止めません。
そして動作の起点はもっと全然上です。上肚真中心(シンタイコウ的実感として)です。

簡易強健術の第四動で、肥田さんは、ある時期まで、横隔膜圧下という『邪道』に陥ったというけれど、踏みつけ運動に関しては終始変わらなかったのではないですかね?
横隔膜圧下では『ハラの下』には行けませんし、踵からの反発力も伸びませんから。



♪イヅモのように キメて ぶっとばそうぜ

(RCサクセション、雨上がりの夜空に)



つづく