蛇は脱皮と新生を繰り返すらしいですが、シンタイのセボネもまた、ダッピとシンセイをくりかえす。
ところで禅では、『小悟』と『大悟』という区別があるという。
『悟り』には大小があるのですかね?てゆうかそもそも悟りという言葉が何を指すものなのか、私はわからない。のですが、ボディワークにおけるシンの『脱力』と、道元禅師が云ったところの『身心脱落』は、そう違うものではないとおもう。
『体の脱力』と『心の脱力』、逆にいえば『体のリキミ』と『心のリキミ』は、切っても切れないものなので、ソレとコレはチグハグにはなりえない。 たとえば催眠術やドラッグで一時的に思考を脱力させたら身体も脱力するでしょう。
あるいはスワイショウをやったあとなどに、心身がスッキリしたりとかするでしょう。
ですが、それは身心脱落ではない。
脱落とは正に文字通り、脱落である。
外部からの刺激や、たまにおこなうエクササイズで、そのときだけそういうふうになるのとはまったくちがう。心を無にしたときだけ『イイ感じ』になるのとはまったくちがうはなしです。
つづく
フィルム映像の肥田春充の動作を初めて見た21才のとき、何が何だかわかりませんでした。
だが繰返し何度か見ていると、ふと、第四動の本動作に、不思議な印象を受けた。
胴体と脚が繋がっていないように見えた。悪い意味でなく、まったく脚で体を支えてはいないように見えた。今おもえば、空中浮遊をするヨガ行者の姿を連想させるようにも見えた。
重心はガッツリ落としているのに胴体が地面にまで落ちないのは、脚で支えているからではないとは思っていた。
だが、それだけではない。腰や腹の力でも支えてはいないではないか!
磁力的なチカラが、体を『沈め×浮かせ』ているのです。腹は下へ下へ引き寄せられ、逆に腰は反発的に跳ねる。
腰腹の姿勢をキメるという鍛練は、シンタイコウ流に云うなら、徹底的なチューニングである。
骨盤でなく腰椎を反りこむように肥田式強健術をやってしまう人が、逆に腰を痛める結果になるとかいう話はたびたび聞いていました。だが、骨盤(仙骨)を反りこむこともまた、正解とは言えなかったのです。
グーン!と落ちていくチカラと、ビーン!と跳ね上がってくるチカラは、腰や腹からつくるのではありません。チカラは『身体ではない』のです。身体は、しかるべき姿勢を『とらされる』だけです。
つづく