ドント シンク。ビー シン。




麻雀で不敗の伝説をもつ桜井章一さん主催の雀鬼会というグループの麻雀のルールに『長考禁止』というのがある。 牌を積ってから切るまでに、2秒以上かけてはいけないのだという。

あーでもないこーでもないと思考して打っているようではダメなんだということでしょう。なおかつ桜井さんは『麻雀は姿勢で打つ』とまで言っている。


朝、起床して、まだ左脳的思考力が鈍いうちに正座をすると、直観直結でシンタイの伝令を受けとりやすい。今朝も大事なことがわかった(その内容はまた後日記事にします)。



しかし、理屈を絡めて考えながらアレコレと姿勢動作の研究をすることも、私はよくあります。それはそれでかまわない。ただ、そのやり方をした場合、なんらかの成果が出るのは『さんざん考えながらいろいろやった挙げ句に左脳的思考がパンクして静まりかえったあと』である。
それはたとえばメッチャリキンだ稽古をしつづけた挙げ句に力が入らなくなってフッとリキミの抜けた動作が出来るようになることと、似ているかもしれません。


そして、そういう過程は、一回の行為で起こることともかぎらないのです。考え疲れたり動き疲れて、眠ってしまった翌日以降に、ふとシンテンがあることもあるし、もっと長い期間のなかでゆるやかで大きなうねり(変容プロセス)がおきていることだってある。一人の人間のプロセスも、人類の歴史も、この地上では『時間』が使われる。

だがしかしながら、シンそのものは時間由来のものではないのである。

真境





無重力ジェル座蒲団の上に乗ってしばし直立していると、感じやすいことがある。

ヨガや太極拳や後期の肥田式強健術や合気が、抗重力筋を鍛えるスポーツトレーニングと決定的に違うところは、身体で瞑想状態にアプローチしているところです。重力と闘う為の筋肉鍛練など一切行わない。
けれどフワフワして朦朧とした身心で漂うだけのリラクゼーションにもとどまらないのです。特に武術としての太極拳や日本のボディワーク(禅、合気、強健術など)はそうだろう。
無重力(無我無心)の境地で、ジブンやチカラが溶けて無くなってしまうのではない。むしろ『シン』が明確になるのである。溶けて無くなるのはエゴとかカルマとかいわれるようなものであり、シンタイコウ的にそれをいうなら『ズレ』が消失するのである。


シンタイコウは、なにかとシンタイの三点でバランスをとる。それはまるで天(日月)地のあいだではたらく引力のようではないか。
漆黒の宇宙(無重力空間)に在りてあるシンタイ。オー、コレがワタシだ!

肉体及び肉体感覚は、重力に依るものだとおもいます。これがあるから私達は個としてココにいる。重力と闘っているから生きているわけではない。重力は肉体の母である。
またしかしながら、それは『シンタイ』ではない。


つづく
次回予定
『真命』





真在




肥田式強健術が卓越した運動である要素のひとつは、『時短』です。シンタイコウでもそこは受け継いでいる。

反復動作を何十回何セットとか行うメニューのトレーニングは当たり前のように流布していますが、私はそうゆうのが受け入れられない。その理由は、
1 醜い
2 退屈
3 数や時間をこなせばいかにもなんだか大したことをやった気になるが、それは気のせい

そういうやり方が愉しいのならば全くこの理由は当てはまらないです。『結果』として反復動作を何十回もやることは私だってあります。
だがそれはあくまでも結果です。設定メニューではありません。

なぜ肥田式やシンタイコウが時短で済むかってのは、やはり、中心力運動だからである。

中心力運動と部分力運動では、運動で感じる『悦び』が全くちがいます。 球技やスポーツが好きな人は、それが部分力運動であっても悦びはあるでしょうが、そういうことじゃねえんだよね。これは私の個人的な趣味嗜好ではないとおもう。

中心力運動から沸き上がる悦びって、『自我的な悦び』とはなんかちがうからです。


たとえば超一流のアスリートが、ジャンルを超えた異次元の姿を見せてくれることがありますが、そのときその人はきっと、個我的ではない悦びの絶頂を味わったりしているんじゃないかな。またたとえば歌手とかでも同じこと。だがそれは、突出した才能のある人だけが味わえることとは限らないとおもう。勝って一番になるとか、大勢の人に評価されることで得られるものではないからです。そういう『結果』以前の、結果なんて全く求めていない悦びに、今すぐ誰だって浸る資格があるのです。



次回予告
『真命』





真由



御存知のように私は筋トレを否定していますから筋トレはしていないですけれども、自分のガリガリ50年史上、じつは今が一番細マッチョっぽくなってきています(笑)。
食事管理はしていませんので体重自体は増加していないだろうし、肌の張りツヤなどは若い頃のようではありませんし、基本的には苦行中のヨギチックですが、シンタイコウで育まれる体幹筋力から派生するオプション程度には、アウター筋肉にも刺激がいくのだとおもいます。そしてその質は若い頃よりも柔軟です。
肉体は、どっちこっち、衰えていくものだとおもいますが、シンタイの使い方には長けていくものなのだ。これをクンフーというのだ。

ニュートンが万有引力を発見した経緯を知りました。ペストだか天然痘だかスペイン風邪だか忘れましたが、疫病が蔓延したとき、ニュートンは都会から田舎へ避難したのだそうです。そこで内省的な日々を送っていたときの出来事らしい。

長い投獄生活からついに解放されるとき、自らの一撃で檻を壊して出てきたという逸話のある、誰だっけ?カクウンシンだっけ?ソトウセイだっけ?リショブン?名前忘れましたけどとにかくそんな人がいましたね。牢獄ですらクンフーの妨げにはならないのである。



次回予告
『真命』



ダイヤモンドハート



肥田式強健術(肥田春充)は、もともと、体をマッチョにするという目的があった為に、簡易強健術で十種のアウターマッスルを鍛えるということになっているが、これはシンタイコウ的には不要なものです。その十種の筋肉以前にもっと意識的に刺激するべき大事な筋肉がある。合気の技とかパンチ力とかにも関わるし、中心力にも関わってくる『前鋸筋』です。
運動能力としての下丹田力=腸腰筋力 といって差し支えないなら、運動能力としての中丹田力とは。 大胸筋力ではありません。

前鋸筋を特別に活性化する運動法を開発しました。でも、たぶんドコカシラのナニカシラのメソッドで、そのようなものが無いわけじゃないだろうから、あえてここで得意気に紹介するまでもないだろうが、私自身的にはこれがまったくスンバラシイ運動になってんだよ。
爽快になりますし、突きのチカラも増し増しになりますし、指圧や整体術をするうえでも技能力は高まります。そして肥田式などをするうえでも、役に立たないわけがない。
『胸が開かない』のは、抱えている感情が原因であることが大きいですが、とりあえずここではたんに運動でアプローチしてゆく場合の話をします。横隔膜の伸び縮みを豊かにするのと同様に、前鋸筋も豊かに伸び縮みできれば、胸の拘束は外れます。
胸で胸を拡げようとしても、思考で感情をコントロールしようとしても、なかなか上手くいかないものですが、前鋸筋のワークをするならば、諸々の中丹田の問題は、勝手に解決に向かいうる可能性があります。

ただし、シンタイコウとは違う文脈の前鋸筋鍛練法をどこかで見つけてやったとしても、そこまでの効能が得られるかどうかはわかりません。






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