体で悟る 二

屈筋と伸筋の関係のように、随意筋と不随意筋も、どちらかを活躍させるにはどちらかを極力休ませる事が大事です。というか、主導権はどちらにあるかが問題です。 
不随意筋主導の運動では、随意筋はそのサポートにまわるのである。ゾーンに入ったアスリートはおそらくこの状態でしょう。普段の練習では随意筋肉鍛錬をエッチラオッチラやって、たまに試合で『たまたま』ゾーンに入って、アドレナリンが出たとかなんとか(本当は出ているのはアドレナリンではありませんが)言いますが、それはふと随意筋肉の主導権を譲った状態である。 
瞑想とかの修行も同じで、『たまたま』ゾーンに入って覚醒気分を味わうことは、悟りではなくたまたま不随意意識が主導になるだけです。 

『何もしない、即ちやる。さっさとやる。』
コレを理論的観念的に理解しようとすれば矛盾にしかなりますまい。これはシンタイメカニズムなのです。
『何もしない』ことを随意でしているなら、それはたんなる随意による不活発運動でしかありません。随意は何もしないというよりも、サポート的にしか働かないものなのです、本分として。

シンセイなるヨル。

♪十二月 街は クリスマス気分 あちこちから思い出したように ジョンの声 

(シオン、十二月) 



カーラジオを聴いているかぎりでは、やたらと流れていたのは、山下達郎と竹内まりやとB’zでしたけどね。時代でしょうね。 

少女が、お店のカウンターで、綺麗にラッピングされた品物を受けとり、両手で大事そうに、そして嬉しさを噛み締めるように、歩き去ってゆきました。もうね、その後ろ姿はね、クリスマスツリーみたいにキラキラしてました。あーゆーの見るとね、クリスマス商戦だとか日本はキリスト国なのかとか、はたまたクリスマスは本当は冬至明けを祝う風習がルーツなんじゃないかとか、そんなことはどーでもよくなっちゃうね。 



  


体で悟る。

悟り とは、ロジックで納得することではありません。気分が超ハイになっていることでもないし、諦めの感情を抱くことでもありません。
抽象的なスローガン(たとえば、すべては宇宙エネルギーのなんちゃらかんちゃらとか、すべては無であるといった、ゴマカシの呪文)で自己の意識や行為を催眠状態にしておくことでもありません。 


つづく

シン ヒキヨセの法則

よく当たるけど、自分の事はてんで判らないという占い師が沢山います。また、自分の腰痛は治せない整体師が沢山います。てゆうかそういう人は本当は、他人の腰痛も治せていない。

解剖学で、体がどのような機能を有しているのかを知っているのに、そのように身体を使えないのはナンセンスである。また、背骨がカーブを描いているのは鍛錬によってではなく、すでにそうなっているからです。

すでにそうなっている
ことをシンタイで判るだけなのです。

すでにそうなっている未来
もまた有ります。




朗報。

すっかり気に入ったバッグの素敵なルックスとか、ネルフ&科特隊仕様にカスタムしたスマホカバーとかを、ブログで画像にして見せつけてやりたいのですが、未だに私はスマホを、ガラケー以下の機能しか使いこなせておらず、カメラも使ったことありません。エロ画像なんて一昨日初めて見たばかりである。

けっきょく、やっぱり、タッチパネルのフィールがいつまでたっても好きになれないし、多種多様すぎる機能なんて使いやしねえんだよ。

と、クソホしか無い世の中になることに悲観&絶望&便秘をしていたところ、クソグルが提供してたニュースを見て私は息を少し吹き返した。なんとガラケータイプのカッコいいヤツがauから再デビューするという。G’zOneという。G−SHOCKチックだが、私にはエヴァチックにも見えた。絶対買いである。さらばタッチパネル。世の中捨てたもんじゃないね。

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