シンタンコウ



「舌トレ」というのがあるみたいで、少し調べたところ、顔の美容や健康に関わる大切なポイントだから、舌筋を鍛えましょう的な宣伝が多かった。
舌筋も骨盤底筋も横隔膜も、てゆーか全筋肉は、十分にゆるんでこそあらためて最大のチカラを発揮する。
私がいつも「トレ」の類いのメソッドを見聞きしたときおもうことがある。どれもおおむね役に立ちそうだし、私自身もすごくヒントをもらえたりする。ですが、根本的な大前提がある。「どうでもいいけどまず脱力できているかどうか」です。
その大前提のうえで運動することにより、諸々のメソッドは役に立つ。

舌筋は、顔に効くどころか、腰腹の姿勢をグイッ!とキメるチカラさえもある。その連動するチカラを十分に発揮するのは、舌筋トレを毎日百万回やるからではない。チカラの道の滞りがないからである。


大前提が欠落したまま諸々のトレーニングを食い散らかしたあげく、たどり着ける場所はどこにもないとおもいます。






トゥルーハーツ! 3



♪ガキのくせにと頬を打たれ 少年達の目が歳をとる 悔しさを握り締め過ぎた 拳の中 爪が突き刺さる

(ファイト!中島みゆき)


アフリカあたりの、なんていう部族か忘れましたが、その部族の、年に1度の御祭りの様子をテレビで観ておぼえています。イケメンコンテストをやってました。

年頃の男達が1列に並び、音楽に合わせて踊りながら、目をギョロギョロさせて、歯を剥き出しにする。その部族のイケメンの基準は、白い目&歯の、際立ち具合。その表情アピールぶりは、我々社会のイケメン基準である爽やかスマイルのようなものではなく、インドネシアの神獣、ランダとバロンみたい。

で、年頃のオナゴ達はそれを遠目から、どことなく恥ずかしがりながら観ているのですが、やがて一人づつ、男達の列に近寄って、誰が一番イケてるかを指していく。みんなメチャメチャ恥ずかしそうで、一体誰を指したのかわからないような微妙な仕草で、そそくさと戻ってゆく。

こっちから見てると何が何だかサッパリわかりませんでしたが、とにかく村一番のイケメンが決まりました。
で、その彼には牛一頭だとか好みの結婚相手とかが与えられるわけでもなく、たんに、みんなで祭りの成就を祝って楽しく踊って踊って踊りまくって、はい、おしまい。
なんだかみんなスンゲエ、ハッピーそうでした。

背景に広がる大地はカラッとしていました。世界に一つだけの花 みたいな歌も、いりませんでした。









トゥルーハーツ?



♪あたし中卒やからね 仕事を もらわれへんのやと書いた 女の子の手紙の 文字は尖りながら震えている

(中島みゆき ファイト!)

この詩は、「中島みゆきのオールナイトニッポン」に届いた、リスナーからの実際の手紙のことであったらしい。それを知った中学生の私はオールナイトニッポンも聴きたくなったが、部活でくたびれていて深夜まで起きていられず、ほとんど聴いた記憶がない。でも1度か2度、眠いのを死ぬほど我慢しながら聴いた。

異常に明るくはしゃいでいる、歌姫中島みゆき。私は、大人の世界ってえのは単純じゃねえんだべなあと、なんとなく、なんとなくおもった。

ゲームセンターの「誕生日相性占いマシーン」で、僕(中二)と中島みゆきの相性を占ったこともあります(笑)。相性率100%でした(笑)。私にとって、みゆきは「好きな歌手」ではなく、フィアンセ候補でした(笑)


さてしかし。「ファイト!」に変に感化されたつもりはないのですが、私は、高校進学などしたくありませんでした。進路志望は「絵描き」でした。絵が好きだったわけではありません、裸の大将山下清(つーか芦屋がんのすけ)に憧れてしまったのです。よーするに、裸で放浪してオムスビを貰って暮らしたかったのである(笑)。そんな進路を一体誰が肯定してくれるというのでしょう。


でもその後、女にモテたくなってしまった(笑)ので、裸で放浪はせずディスコに通うことにした(笑)のですが、女子と会話していて「夢に向かってひたむきに生きる人がステキだわ」とかいうわけのわからない話になると、複雑な思いでしたね。ひたむき=オマエとはサヨナラなんだよ。

♪お前がいくら めかしこんで 俺の前に やってきても そんなことには かまっちゃいねえ 俺はただおまえと ヤりたいだけ

(THEルースターズ 恋をしようよ)


♪うらみます うらみます あんたのこと 死ぬまで

(中島みゆき うらみます)

今回の記事でそもそも何が書きたかったのかわかんなくなってきたんで、これでおしまいです。







トゥルーハーツ 2




♪だけどいつか気づくでしょうその背中には
はるか今に根ざすための羽根があること



植芝盛平さんは、ピストルの弾をよけるとき、実際の弾よりも早く金色の弾が飛んでくるからそれをよけるんじゃ、そのあとから弾が飛んでくるから当たらんのじゃ とかなんとか言っていたみたいですが。

そんなもの信じられるわけねえだろと思う人が大半だとおもいます。私達はその現場を見ていないし、金色の弾が飛んでくるというその感覚が全くわからないからです。

でももし、ハヤリの脳科学が、金色の弾の正体を暴いたり、あるいはハイスピードなものを超スローにとらえることのできる脳の可能性を説明できたとしたら、俄然多くの人は信用しはじめるはずだ。科学教おそるべし。

「信じるものは救われる」といいますが。たとえばスポーツのちょっとしたスゴ技を見たとき、うっすらと(自分も出来るかもしれない、自分もやりたい)という「身体の予感」が生じることってあるとおもいます。そのとき人は、ジブンジシンをシンライしているのである。身体運動に限った話ではない。


私は若い頃、「半歩踏み出してチョイと拳を当てて相手を吹っ飛ばす」という達人の話を聞いたときや、それに近い実力のある人のクンフーを受けた(小さい身体の人にアッサリ飛ばされたり、簡単にあしらわれた)ときでも、「身体の予感」は生じなかったです。まるっきりそういう質の体運動とはかけ離れた運動しかしてこなかったからでしょう。
でも、そこで私は、「出来るヒトがいるんだから私には絶対出来ないなんてことのほうがあり得ない」とおもいました。伝説は与太話だし私には関係のないことだ、などという考えのほうこそ、信用ならないものだったのです。







トゥルーハーツ 1



♪ああいつか永遠の 眠りにつく日まで どうかその笑顔が 絶え間なくあるように

(浜崎あゆみ、曲名わからん)


眠ってんのか起きてんのかわかんないときには、よく幻想的なビジョン的な感覚があるものですが、今朝は、意識が覚めるそのとき、「自分が入ってきた」。

通常、自分だとおもっているその自分は、全く自分ではありませんでした。何を言ってっかわかんないですよね(笑)。わかりやすくたとえましょう。俳優が役柄と同化したまんまの状態が、普通の私達の状態です。つまり気づかないのです、普通は。私達は演技しづっぱりだということにね。ですが、今朝私は、そのスキマを冷静に垣間見ていました。(あーこれから起床して「俺」をやるんだなあ)と。
では、「俺」に入ってこられた側は誰なのかといったら、少し前の記事でも書きましたが、それはハイユーセルフである(笑)。

でその「俺」っていうのは「自我」ともいうのだけど、「俺」は、生きているからにはあるわけですよ。
役を生きない俳優なんていないわけですよ。
ヒトのカタチとしてあるかぎり、そのカタシロには「オレ」「アタシ」が入るのです。でもそれは、タマシイではないのだよ。

ハイユーセルフにとっては、オレアタシは、チャイルドみたいなものです。泣きたきゃ泣いて、笑いたきゃ笑い、怒りたきゃ怒らせてあげればいい。宗教の失敗は、コレを否定しまうところだとおもう。
そしてスピリチュアルの失敗は、「オレアタシ」が究極を欲しがってさまよい続けるところだとおもう。そしてボディワークの失敗もよく似てるでしょう。「オレアタシ」が正中心とか神秘とかを欲しがるところがね。
ま、失敗ってゆうか、「欲しがり体験」だけどね。
にんげんだものね。にんげんしかほしがらないものだったからね。


♪今日 人類が初めて 木星についたよ

ピテカントロプスになる日も 近づいたんだよ

(たま さよなら人類)




次回予定
「真性器エヴァンゲリヲン」

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