♪ ひとりじゃないって 素敵なことね
(song by 真希波マリ)
ヤバい。あれほど好きじゃなかったエヴァQが、じわじわと好きになりかけてきている(笑)
まるでサンマの苦味というか、シャケの皮というか…オトナにならんとその味わい深い旨さがわからなかったやつのやうだ。
ところで皆さんは、亀甲縛りをされたこと、ありますか? 私はあります(笑) 。キモチいいです。新品の雪駄の鼻緒に、初めて足指をギューとかませたときの、あの脳にくるキモチよさの、全身版ですヽ(≧▽≦)/
正座ほど不自由な姿勢はないよなと思っている人は少なくないでしょうが、これもまた亀甲縛りみたいなものです。
自ら姿勢を縛って絞ってシボり抜いたとき、若い頃にしていた運動や、反抗や、娯楽や、さすらう旅では、味わうことのできなかったシャケの皮、いやシンの自由を味わうのです。
さて亀甲紋といえば、出雲大社の紋章です。
エヴァ13号機で 、シンジとカヲルを隔てていたガラスをシンジが叩いたとき、蜂の巣模様のように亀甲紋が浮かびあがっていました。
亀は、世界のあちこちの物語で、あの世とこの世を結ぶ象徴のような存在として登場します。
亀甲紋と六芒星は似たものどうしです。
シンセイ幾何学が示しているものは、法則による拘束ではなく、ポータルつまり自由の扉でしょう。シンタイコウで云うところの『何もしない』とはこのことだ。何もしなくとも、何もしないからこそ、それはひらく。
パカッではなく、スーッて。
踵からくる腰のチカラ(斥力)は、下肚まででなく、上肚までくる。 それは、横隔膜を『『下げさせないチカラ』』だ。
横隔膜を、下げさせもせず、もちろん上げさせもしない、肥田式で云えば『横隔膜そのまま』のチカラは、斥力を中和する中丹田にある。
新劇場版エヴァンゲリオンでは、サードインパクトやらフォースインパクトやらが起きるとき、覚醒したエヴァが『ガフの扉』を開けていますね。 下から破るようなチカラは、破壊をもたらします。
しかし、創造の無い破壊は、破滅です。
ガフの扉によく似たシンタイの場所である横隔膜を、 脳からの制御で下げたり、または斥力で突き上げて(危険です)も、真の中心は拓きません。
我があってはならん 無くてもならん この道理わかりたか
(日月神示)
周天やクンダリニーとかってのは、たいがい、縦のエネルギーの走行が示されています。でも中丹田は、上下前後左右そしてそれ以上の、立体では説明のしきらないチカラのところである。
生命力の溜まり場は下肚です。しかしそれがそのまま上肚を突き破って上昇することはない。
スサナオルが献上した剣は、アマテラスに手渡されたとき名前が変わったのです。
『骨のある奴』とか『肚のある人』という表現があります。仙道ではそれと似た表現で『仙骨がある』と云うそうです。
仙骨のない(物質的な有無でなく)人は、仙道も成就することはないと。
では『中心がある』といえば、どうでしょう。
中心がある人とは、どんな人でしょう。信念があるとか、ハラがあるとか、ココロある、とかっていうのとはちがう。そういったものは、真中心力(十)からの部分力(九)です。シンネンやハラやココロがあるなら、それはマコトがあるからだ。
エヴァンゲリオンを好まない人の、よくある理由として、訳のわからんストーリーと、シンジのグズっぷりが挙げられます。 たしかにグズグズですな。兜コウジ(マジンガーZ)を見習え!と言ってた人もいました(笑)。
けれど、そうじゃあないんだよ。
もう、敵を倒したら平和がくる時代なんて、存在しないのよ。
つづく
シン エヴァンゲリオンに (たぶん(笑))
新劇場版エヴァンゲリオンQのTV版←ややこしいね(笑)観ました。
『破』が死ぬほど大好きな私なのに、先週は放映されていたのを知らなかった(;O;)。
劇場公開された当時も、いざ映画館に行ったらもう違う映画に替わってました(T0T)。
なのに…一番キライなQを観るのはこれで3、4回目です…。
エンタメとして見た場合、相変わらずQは、最悪に近い。メカ好き?な人なら面白いシーンはいくらかあるのだろうが、メカのグラフィックの凄さが逆に人物画をチンケに見せてしまう。私はドラクエ(ファミコン時代の)は好き、ファイナルファンタジーはキライなんだよ。
そしてミサトの指示やら何やらが速すぎて、何言ってっかサッパリわがんね。
そしてそして、エヴァ特有の『訳のわからなさ』がハンパなさすぎる。 そしてそしてそれを、まるで訳ワカラン系の担当大臣みたいに、モッズになったリツコとカヲル君がやたらペラペラペラペラペラとまくしたてるセリフで一気に説明してるだけである。
よーするに、面白くねえ映画です。
だが。10年の時を経て、印象が変わったこともある。10年前には私の実人生においてまだ経験が積まれていなかった『ある事』が、Qには 描かれていたのである。 私はそこが、深く身に染みた。さすが『腐ってもエヴァ』 である。
Qは、面白くないが、凄い。エヴァには、物凄いリアリズムがある。訳のわからないだけのアニメなら、こんなに話題になることはないはずです。
あ、あと、アスカの腰まわりが妙にエロいことに以前よりもよく気がつきました(笑)。
絞首刑に処されても、胸を撃ち抜かれても、腹を切らされても、そうして肉体は死んだとしても、死なないモノがある。
じっさいに確かめていないので妄想と言われればそれまですが(笑)、それは正坐で妄想でき…いや、明確になる。
それは大周天とか強健術とかでも体得できるのかもしれませんが、不死のシセイに還るうえでは必ずしも強健を加える必要はありません。それに、ある一定の健康でよいなら、正坐のみ行うだけで充分に保養される。というか強健や周天の礎も、ここにしかないのである。
無、虚空、あるいは高次元とか、そういったところ?には、いちいち肉体から離れなくとも、片足を突っ込むことはできる。や、この言い方は適切ではありませんな、逆だ。『肉体という片足を出すこと』はできる。
涅槃とまで言うならそれは片足をどうにかしていられる世界ですらないのかもしれませんが、、まぁあんまりこのテの話に突っ込むと、冗談ぬきに妄想でしか私は語れない(つまりよくわからない)ので、
リアルシセイの話にもどします。
『仙骨を立てる』ことと『仙骨が立ってる』ことは同じことではありません。 修行とか鍛錬とかワークといったものが『仙骨を立てる』ことに勤しむものだとするならば、仙骨が立ってる とは、どういうことかというと、思想や決心とかで如何にして生きているかでなくて、 それは『死ぬるなら死ぬにまかせ』なおかつ『活きるなら活きるにまかせきって』いるシセイである。
シンピンポンパン体操 はじまるよー!!
♪ずんずんずんずんしんしんしんしん
ピシン!
ポン!
パン!
ポン
と、こうしてなんだかんだとやっていても、また、ブログでなんだかんだと言っていても、どうしても抜けることができないところがあって、それは問題であった。
劇薬は猛毒にもなりうるのに似て…いや、正義は悪でもあるのに似て、、いやどうでもいいけど、 決着のつかないシンタイコウには、反作用もあった。
だがね
中心練修会の三宅先生のブログに『突き抜け』 という言葉がたびたび出てきますが。それをパロるわけではない(笑)のですが、 『すっぽ抜け』たことについて、次回以降、記録しておこうかとおもっています。
つづく
さらば全てのエヴァンゲリオン て、ほなどないせえゆうね。