質実柔健 五

伸ばす、通す、開く、といった動き働きには際限がない。

たとえば心臓は、物質だから、壊れてしまえば終わりです。だが、中心生命は、どれだけ活きているかということしかない。物質ではないし脈動しない無機質な一点の位置というのでもない。中心生命は常に発動している。常に。もう一度いう。常に。で、「分離した部分」が割り出した中心、中心力、中心生命というのは真の中心ではありません、部分が見ている偶像です。幻影であり誤差があり実体や実力はありません。


たとえば心を、オープンにしなければと脳で発令したところで、フルオープンになることは無いです。たとえば肚を据えようと、心で念じたところで、肚が開くことはありません。


ジャッジメントしたあとの脳の見立てや成功マニュアルからは、直観や肚は発動しておりませんのです。





質実柔健 四

腰を反る、入れるということに関して、もちろん腰椎には力は入れてこなかった。腰椎五番(最下部)と仙骨の接合部を反り、かつ引っ張り上げるということをしてきた。それはそれでよい。しかしそれだけではなかった

なおかつ、横(左右)へも伸ばすのだった。仙腸関節を張り広げるといってもよい。 するとそのチカラは骨盤に沿うように丸みを帯びて、球状になる。そして収束するエネルギーのその一点は仙骨の体内側に、ある。正中心て、これのことか?

…しかし骨盤内周天は、小周天の初歩の技法ではなかったか? 伝統の体系というのはやはり深くて確りしてるんですね、きっと。真体功はシッチャカメッチャカの我流です。
ではなぜ私は、ちゃんと仙道なり肥田式なりを、きちんと忠実に学び直したり しないのか。それはきっと、一番したいのは「綱渡り」だからです。
図鑑を持って、食べられる野草を採りにいくタイプではないのでしょう。




質実柔健 三

インドの山奥でんでん虫転んで赤チン塗っても治らない

ハミチン塗ったら毛が生えた



こんにちは、渚チブルです。歌はいいね。でもリリンの生み出したもので あまり好きではないものがあります。四角いもの。私はガンダム世代ということになっていますが、ガンダム観てませんでした。四角いから。


茨城のどこかの町の、風土記の丘公園にいったことがあります。そこでは縄文〜江戸あたりまでの住居のレプリカが順を追って展示されていました。一番最初の縄文式住居だけが円形で、次の弥生式からは四角になっていました。ガッカリです。中に入ってさらにガッカリです。縄文人の人形はボサボサ頭でコジキみたいな風体、弥生人はコザッパリして綺麗。ウソでしょ。縄文人のほうがオシャレだったはずである。インディアンが嘘をつかないのは、丸いティピーで暮らしていたからだ。四角いアタマで考えると、効率こそ正義であるかのような美であるかのような見立てをするのでしょうが、あの歴史の捉え方は、四角い。ウソっぱちである。


背骨は本来、美しいS字カーブを描きます。



質実柔健 二

体感、氣感、氣流 は日々深化する一方なので、ある意味、過去に書いたこと昨日書いたことはもう適切な記述ではなかったりする。万華鏡の1つのパターンをもってして、「これがマコトである」と言ったとしても、「これだけがマコトである」とは言えない。

心身をゆるませればゆるませるほどに、身体を身体たらしめ、機能を機能たらしめ、運動を運動たらしめ、氣を氣たらしめているハタラキがワカルものです。
尾骨は仙骨の雛形、肝肚とは横隔膜下〜股関節の範疇をもってして肝肚とする、センスとはセンの主、「無為」とはつまり、センの主ではないものに心身を操作させないことです。 丹田とか氣とかケイラクとかっていう物質として存在しないものは、委ねがないと知覚できません。科学的解剖学的知見にもとづいて、アタリをつけることはできます。しかし知覚はセンの主なくしてありえないで候。


真体功そして私は、図太い強健が右肩上がりに得られるものではないし得られているわけではありません。 渡る綱を、乗るボードを、糸を通す穴を縫う針をどんどんどんどんどんどんどんどんコンパクトに細く小さく鋭くする。 強健などいらないのです。柔健を研いで研いで研いでしんけん、なにもなくなってもかまへん。




ここのこと

前回、心身中心は胴体中央だといいましたが、

存在、今ここ 、ただ在る、というにふさわしいのは、肚、仙骨であります。

スピリチュアル系の話で、「今ここ、今ここ」というフレーズはよく出てきますけれども、なんとなく、雰囲気が、心か脳で響かせようとしているような赴きがありますが。今ここはそこにはありません。


喜怒哀楽の「怒」が不幸の原因だからといって、それをマインドがマインドでマインドを「楽」に変えればいいのかというと、それは一部のスピリチュアル系のやり方であって、肚の体育や禅ではそういうマインドコントロールは行わない。

こちら千葉の田舎では虫や動物が沢山いて、死骸もよく見かけます。グシャグシャになってて何の動物かよくわからないが、むき出しになった仙骨らしき骨を眺めていると、宇宙船みたいに観えてきて、これって、ある意味、「乗り物」なんじゃないかと、体感的妄想した。




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