シンアイなる者へ 巻の巻




ずっと昔、吉祥寺のバウスシアター(今もあんの?)で、 グルジェフワークを紹介してる映画(タイトル覚えていない…あ、『ナンチャラな人々』的なやつ)を観たことがありました。


神秘思想家グルジェフの提唱するワークを実践する人達。みんなで輪になって、腕を挙げて、一人一人がその場でグルグルグルグルと旋回してました。動く瞑想、みたいな面持ちで。

しかし私はそれを見てるだけで目が回って気持ちが悪くなりそうで、私自身はそんなグルグルグルジェフワークをする気にはなれませんでした。それに、その様子が何だかカルトっぽかった(笑)。でも当時、肥田式とかまったく興味なさそうな人の前で肥田式をやると、なんともいえない奇妙な顔をされたり、爆笑されたりしてました(笑)。
見る人によっては同じ穴のムジナなのかしらんけどな。

しかしワタクシは、またあらたに開発したのである。シンシンシンタイコウを。
体は旋回させず、氣だけを、小周天の縦回しでなく水平に旋回させ、はては律儀な一定ラインの回転でなくアッチャコッチャに散らすように飛ばす。『かごめ唄』を歌いながらね!。
名付けて『かごめ周天』(笑)。

一人で、身体内で、かごめ唄の遊戯をするようなものです。

しまいの『後ろの正面だあれ』とは、さながら禅問答であり肥田式で云うなら本動作ですが、その『正解』を見つけようとしないことです。虎視眈々とやらない。その虎視こそが要らない。それはエセ中心軸である。

回ることに没頭する。
氣功的な愉快さによってそれは自然と叶います。目眩のようなものも感じますが、それは好転に向かう。


いやそもそも氣感がないよという人は、まずは肉体を回すなりバラすなりをすればいいとおもいます。 なんらかの出来合いのメソッドをアテにしてソレを行うのもいいのですが、ワークとか修行とかどうでもいいからシンソコ遊ばんと、やりきれんよ。








シンアイなる者へ 光の巻





頭の姿勢位置がズレずにシンに決まったとき、脳裡に黄金の観音様やシヴァ神みたいな像が観えてくることが、かつてありました。
今はそのようなハッキリとした姿は見えたりしませんが、アタマがポカッとするのはココだという、位置なき位置感覚はあります。

仙骨内側にも、それに相当する姿勢位置があるわけですが、そこからそのようなビジョンが見えてくることはありません。
上丹田と下丹田の特性のちがい?か知らんけどソレは『有る』のか『在る』のか『無い』のかで云えば、下丹田は四の五のいわんでも、何も見えなくても、『在る』。これをいちいち幻視とかで示す必要などないのである。

では中丹田は。
えっと、、よくわかりません。

真中心とか言ってるわりには、胴体真ん中らへんの姿勢位置が私はハッキリしていないのかもしれません。が
というかソレは、垂直軸が通りさへすればハッキリするようなところではないようである。

身体の位置取り、身体感覚だけでソコが決まるものではない。『有る』『在る』『無い』でいうなら……ソコはナイのでアル。
太陽はホントは物質的に存在する球体ではない(シンタイコウ的仮説だけど)のと同じことなのだ(たぶん)。

いやもし太陽は物質的に存在しているのは当然だとしても、理科で教わった『何十億年?かかって燃え尽きる』、燃えているモノではないのじゃないかとおもう。
それはオイルライターの綿と芯のようなものです。燃えているのは球体でなく、燃えるものが球体に浸透しているのだ。そして数十億年分のオイルが染み込んでいるのではなく、オイル(光源)は供給されつづけているのだ。
心臓を動かしているものは心臓でしょうか。ちがうとおもいます。

身体からシンの中丹田を計ることはできない。



♪あの娘をペットにしたくって ニッサンするのはパッカード 骨の髄までシボレーで
(小林旭)


アルゼンチンにもナイジェリア。







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