肉体を超えたチカラが充ちる感じは、自我が肥大する感じとはぜんぜんちがう。

散歩 してたらね ハラで地面をつかんで蹴っている感じが強くあったのですよ。

で、帰宅して靴を脱いで部屋のヨガマットの上で、形意拳や太極拳の姿勢をとってみたのです。
したっけ、
足裏がズイーンてな具合に、ビッタリと地面に食い付くんだよ。
でな、鏡の前で、流鏑馬のキシャ体操をアレンジしたシンタイコウ動作をした。その姿はな、かつて、肥田春充の第四動作をフィルムで見たときに驚いた、骨盤から上が脚とは別に直立しているその姿に、よくよく似ていたのさ。
私が極意とか聖中心を得たなどと言うつもりはありません。ただね、しみじみ、しみじみと嬉しいのだよ。若い頃には皆目見当つかなかったタイカンをタイゲンできていることが。なにより喜んでいるのは、シンタイなのさ。

一般物理学からは量子を理解も応用も出来ないのと同じに、心からはシンソコをふるわすことは出来ない。

『誇り』って言うのと、『プライド』って言うのとでは、いささかニュアンスが異なるようにおもいませんか。
私としましては、その二つの言葉からくる響き      を身体的に示すならば、『誇り』は背骨です。『プライド』は鼻です。 
 


 

シンタイは、たった今、ダンスしたい。

なんらかのボディワークをしている夢を見ることが、よくあります。たいがい、『スゲ〜いい感じ』に動いてます。これは、現実では満たされていない願望を夢見る正に『儚い夢』なのかといえばそんなことでもありません。 
なぜなら起床したあとの実際のワークでの、多大なヒントになっていることがよくあるからです。 

なぜ、半ばイシキが肉体を離れているときに、むしろ肉体動作の質を上げるような体験ができるのかといいますと、。    

つづく。スマホの入力マジめんどくさい 

どこぞの 神道 系 の 修行法 だったかね。 ありがたや ありがたや と 唱え続ける 修行 あったね。 しかし感謝は 修行ではない。 沸き上がるのである。 
体の修行だろうが頭脳のトレーニングだろうが、心の修行だろうが、そういう『やり方』は、パンク寸前までやらないと駄目だ。素朴にコツコツ行う行為とはニュアンスが異なるものである。ぶっちゃけ、ファックファックと1000000回叫ぶのと、有難うと『唱える』修行は、同じことである。やってる事が意味を為さなくなるまでやってナンボの荒行である。

理屈や頭脳が先行しないと行動できない現代人は、昔ながらの職人の修業、つまり『見て覚えろ』『黙ってやれ』的なやり方が向いていない。だが、理屈や頭脳からでは、スマホのようなスペックしか身につかないのである。

近道だろうが遠廻りだろうが、道の先にゴールがあるわけではありません。

つづく

続き

丹田 は 丸いです マルイマルイ

強健術 の けいこ といえば 腰を反る 琴似 頓着 しがちですが 骨盤運動 において そういった 前後運動 だけでなく 左右 も 柔らかく すると良いです 上前腸骨棘 つまり 骨盤の 上の端 を 耳に近づける みたいに 左右交互に スイング すると良い 。 強固な 姿勢とは イキって決めた 状態 なのではなく ひたすら力の抜けた 体 が ニュートラルギア に入っている ような 状態なのである そして パン電話 いやたん電話 いや 丹田 は ちっぽけで 浅はかな脳の イメージで 作り込む ものでは ありません 払わ いや 腹は 最大限に 大きく 大きく 使ってください 続く
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