真体功 タリ


…と、いうことで、愉快痛快 快物クンダリニー。
怪物クンはたしか、念力集中ピキピキドカンだったが、真体功マッパ式強健術は、脱力集中スー…ドカン!だい。 たちまちチブルが大噴火。てゆうか全身是八雲立つイツモである。


完全なるスパイラルはただ完全へと向かうだけである。




チブロール

カルマとかブロックによる障害なんてものは、閉ざされた肚腰から毒化されて染み出たエネルギーのようなもんです。スピリチャリィな分析なんてしてないで、とっとと肚腰を開ければいいのさ。でも大概において、それができない。なぜか。肚腰を割る覚悟と言ってもよいし何もしない勇気と言ってもよいが、そういうものを保留しておいての、とにかく自分は自分のままでいたいんですね、みんな。
「雨ニモ負ケズ」で始まるあの有名な詩の最後は「そういうものに私はなりたい」で締めくくられていますが、私が無い人物に「私が」なることなど決してありはしないのです。考えてるヒマがあったらとっととそうしろや。
「ハラで考える」的なフレーズがありますが、ハラは、考えないです。




真体功 ココノ

スポーツで「ゾーンに入る」という状態がありますが、ゾーンなるもので私が思い出すのは麻雀の桜井章一さんの話です。無敗だったというあの人は、全局全打がゾーンだったのでしょうか。

また、桜井さんの話で思い出すのは、「勝ちパターン、必勝法必殺技などない」って言ってたこと。そしてその話で連想するのは、中心軸や中心点の在り方。
外側から肥田さんのような姿勢を構築して中心感覚らしきものが得られても、自在ではありません。てゆうか私は全くそれでは 感覚もヘッタクレも生じません。アウターマッスルよりインナーマッスルの働きが重要なのは間違いないですが、それを働かせるのはアウターマッスルを鍛える時のような意識ではありません。インナーマッスルをよくよく働かせるものはそれではない。

肚腰は、どこよりも柔軟でなければならない。正解の型があるとすれば、自在な肚腰が生むソレが正解である。肚腰に命令を出す権限は、「遅くあるもの」達には、一切、無いのです。

基本的に、ハラの黒さを腹放さないと氣も気合も合気もないし整体しても効果がない。



真体功8 真体験

真体功&ケセラセラピー 『ちぶる正体』

…と、改名しようと思うんですが、何の業種だかわからんかえ?


先日来店した方からのメール文を抜粋します
「頭の中に詰まってたものが消えて空間が出来たようでスッキリしています」「今朝起きてから、色んなものへの感謝が湧いてきました」

なんてこったい。
しかし象徴的ですな。
空かないと入ってこない出てこない。空けるのは非効率でも恐ろしいことでもありません。何もしないということの価値といったら!

肚とアタマは直結していて、生理学的な腸と脳の関連の話は他のどこかに書かれていると思いますが、そういう話ではなく、肚が空けばアタマも空きます。逆も然り。そして満ちます。ですからアタマで肚をあーでもないこーでもないと操作したって、あーでもないしこーでもない肚の動きしか、いつまでたっても出来ないのです。

体幹てのは筋肉の硬さや強さではございません。空気です。


真体功7 膜の巻

筋膜皮膜、横隔膜のことをなかなか記述できないでいたが、今回書いてみよう



筋でもあり膜でもあり、随意でも不随意でも動き、上体と下体のアイダ、自と他のアイダにあるもの。 この記述だけで何かピンときていただきたいですが(笑)、もう少し書いてみよう、時間を使って。

これほど観察行にうってつけな部位はない。もちろん気功や整体の術を施す場所としての重要度もデカイ。
意思や意図が働くときこれらは緊張します。働きっぱなしの信念や思い込みに閉ざされていたら。その働きの不完全さ、推して知るべし。 強い意思で強く働かせることも出来るものの、その強い意思を沸き立たせるのは強い意思という小さな波ではなくもっと大波のウネリである。

膜はひとつのものですから、神経や脳の情報速度や質とはワケが違う。そのまんま、ダイレクト。足で起こったことを頭やハラが認知するとかそういう問題ではないのです。足で起こったことは全身で起こったこと、です。情報伝達じゃないです、認知認識じゃないです。そのまんま、ただ起こったことがあるだけ、です。




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