自己への帰還

当ブログや「あっぱれ正中心」ブログで時折記事に出てくる、子供の頃の凍結した自分との対面をしていた女性が、数ヵ月ぶりに整体を受けに訪れました。

問診をしながら彼女を観ていて、何か問題があるようには感じませんでしたが、とりあえず横になってもらい、身体を診ました。

肉体の疲労は見受けられるものの、かつて存在した「ブロック」が見当たりません。それどころか氣がスースー通る。

整体、氣振り を終えて一段落していると、彼女はニコニコクスクスしています。お腹から笑いが込み上げるそうで。

近況を伺ったところによると、五歳の自分は全く姿を現さなくなっているそうです。そうでしょうね、だって表情と姿勢がココに来た時から、何かを取り戻した感がありましたもの。

まあ、ここに至るまでには、色々あったようですが、その度にその困難を、過去の自分のパターンを変える糧とし、乗り越えてきたようで。今、自分が自分のホームに戻ったみたい 、と言ってました。

帰り際、彼女は泣いていました。理由はよくわかりません。ただ、最初に整体を受けたあとに出会ってしまった五歳の自分を見て流し続けた悲しみの涙とは、全く別の成分の涙に思えました。

彼女は彼女を迎え入れたのです。

おかえりなさいと。

彼女は彼女のところへ帰ってきたのです。

ただいま!って。



中心点のとりかた

★脛骨は足根骨にピッと乗る
★大腿骨頭は寛骨臼にサクッと治まる
★仙骨は立つ
★寛骨は閉まる
★仙腸関節はキュッと締まる
★各椎間は空く。腰は反れない、丸まらない
★頚椎1番2番は癒着しない
★頭蓋骨の関節、縫合はやわらか
★膝はゆるゆる、肩甲骨〜腕、手はブランブラン


身体を地球に乗せます。 足に脚を乗せ、骨盤を乗せ、背骨を乗せ、頭を乗せます。

仙骨内側には、氣だまりがあります。

で、この型を、「とめるように作る」ことは、出来ません!。
一瞬たりとも止まらない身体の動きの中で、この「流れ」をつくるのです。



たまゆら 元氣吹 マナカ

たまゆら は、ウツシヨのウツシヨのカミをあけはなてここにおはす也。

元氣吹は アメツチと分かつことなく御柱を立てて たま を まわす也。

マナカは これ也。


ひ ふ み よ い む な や ここの たり

ふるへ ゆらゆらと ふるへ


超近未来SFコラム

人工知能の作詞ロボが、こんな歌を作るとします
「僕らは独りぼっちじゃないのさ さあ手をつないで歩きだそうよ 君に逢いたがっている希望という名の百億円の居るところまで レッツラゴン そこはとってもアッタカイんだからぁ〜 自己責任でアナタに逢いたい」


オカシイねと嘲笑されたとします。コミックソングを作ったつもりのない人工知能作詞家、ファッ久優 は、インタビューで答えます。
「皆さんに笑顔を届けられたようで、本当に感謝します。元気多いです。皆さんが求めているものを、この歌に精いっぱい詰め込むことが出来ました。私の想いは、皆さんの想いとともにあります。皆さんが私にくれたスマイルを、是非自分自身にも与えてあげて下さい。この歌は、皆さんそのものです」


ありのままという愚鈍

私は医師でもマッサージ師でもありませんので、今回の話は医学や科学の知見に沿ったものではないということを踏まえて読んで下さい。東洋医学の話ですらありません。

ストレス、自然治癒力、好転反応。これらは、非常に都合のいい言葉です。とりあえずそう言っておけば大抵済むから。占い師が「アンタ本当は寂しがりやさんなんだね」 「先祖の誰かに見守られてるみたいだね」 って適当に言うのと変わりません。
自然治癒力は、ハッキリ言って大した働きをしていません。何故なら誰ももう自然に生きていないから。砂の上に植えた樹木はどんだけ育つというのでしょう。

好転反応。我々のような業者は、結果まで見通せる場合を除き、安易にこの言葉を使うべきではない。

ストレス。万能ワード過ぎて何も言えない(笑)。

不自然に生きている結果、薬も自然治癒力も効かない何らかの症状を抱えている人は少なくないと思います。

「ありのままでいいんだよ」と言おうが「ガンバレ」と言おうが、今ドキのウツの人には何も効きません。

私の記事では、「無作為」を良しとするニュアンスの話をよく書くし、自然治癒力も全く肯定はしています、ただ、放置と自然は違う。

そして、「あるがまま」とは、「十全」であってはじめてあるがままというのであり、「そのまま」ということではない。

この話、続きはまたいつか。


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