整体日記 二

今度は首が痛くて動かない人を施術しました。


その人はただのマッサージとかボキボキ整体をされるもんだと想像していたのか知りませんが、当てられた手がジッと動かないことが意外だったらしい。私も氣功とはいちいち言っていません。 で、ここが肝心なのですが、その人はそこで、それを「受け入れた」。ただジッと。寝入るでもなくイラつくでもなく、その状況を丸ごと味わった。

まるで禅というか、自身との対話に導かれたような感じだったと、のちに言っていました。私は施術をするにあたってそんなレクチャーなどしていませんし、その人がスピリチャルマニアとかいうわけでも全然ありません。

無為が訪れた。そして自然が作用したんだ。

余計な痛みがスーっと焼失していったそうです。ただ、1ヶ所に痛みの根っこのようなものが残ったそうです。後日、好転反応のごとく風邪に似た症状があらわれたあと、全部スッキリしたそうです。

経過や氣づきも込み込みでの、治癒ですな。自身が自身で治っていったのである。


ほんとうにね、このブログのウンチク文章なんて二の次でありますし、人間の思い込みなど十の次。脳も鍛えてなんていないで、脱脳力したらいいのさ。ポジティブシンキングとかネガティブシンキングとか引寄せの法則とかホントいらない。中心に引き込まれていく行き道は、無為であるほかないのだから。








シン ヘンシン (エヴァージョン)

1980年代頃は、二足歩行のロボットをつくることは不可能であろうと言われていたように記憶しています。でも、可能になっていますね。

二足で歩行する動物も、動画でチラホラ見かけるようになりました。 もはや二足歩行は、人間の特権や聖域ではなくなっている。


では人間の身体動作には、次なる進化はあるのか。あるとおもいますねえ。

私がこの肉体で実現できるかどうかはわかりませんが、ヒトは、宙に浮くポテンシャルをもっているとおもいます。


エアカーとかUFOとかレプリカントが存在するような世界になるまでに、私はもういないかもしれません。でも、今生きているあいだ、私の身体世界は進化する一方です。どんなに少なくとも死ぬまでは。









シン ヘンシン(デビルversion)

♪ゲトワイエンタフ ひとりでは 解けない愛のパズルを抱いて

(T.M.ネットワーク GETwild)



ボディワークはまず、内側に向かう。内側の宇宙に向かうのである。

「教育」とやらは一般的に、『正しいこと』を教えるが、『ほんとうのこと』は教えない。

正しいこと とはソトヅラである。教育スタイルで自分の身体にワークを強制していても、何にもならない。そんなんで型稽古をやって、上手くなったらなんだというのでしょう。ちぶるスラングではそういうのは「モンキーマインド、モンキーボディ」という。


中心は「ホール」です。
ホールにただ落っこちる。落っこちるとアラ不思議、ワタシは、ココに、全く、いるではないか!
ソトヅラの正しい姿勢をとったら正中心がキマる とかっていうのは、あり得ない。落っこちるから姿勢が決まるんだ。 型稽古の「型」とは、「正しさのカタチ」ではない。『ほんとうのこと』の真髄、姿なのではないですか。型を「やる」んじゃない。型に「なる」のです。ボディワークは策じゃない。真体功はダテじゃない。











シン ヘンシン (ウルトラversion)

水になれ

水であれ


水である


水のクオリティである

水のクオリアである

水のクオリズムである

水のクオリットである



シンタイコウはシンタイの『クリスタルシス(結晶化×浄化。ちぶるスラング)』である










整体日記

超有名な人の術を高額払って受けたものの、何の効き目も無かったとか、予約のなかなか取れない名人にやっとこさ施してもらったはいいが、治らなかったとか、そういう話はときどき耳にする。

先日私が診た坐骨神経痛の人も、そういう経験をしているようで、その人の結論としては、『名人だろうが何だろうが、その技術に自分の身体(症状)が当てはまってなけりゃあ効かない』だった。

そういうケースについて、おもう。

病とか不調の原因を、突き詰めて探っていくと、具体的に見えてくるものがある。それを、名人や有名人なら的確に見ていると思う。そして高技術で施す。それで確率的には高い数字で結果が出る。でも100%ではない…
症状を突き詰めて見るのではなく、逆に、どこまでも俯瞰して観察した場合、私は、その症状が、全体から切り離せないものに感じることがある。全体とは一身体の全体ではない。もっともっと俯瞰してみての全体だ。時空も俯瞰する。


そうして診たとき、これはたぶん一流だろうが三流だろうが、治されへんのかな と感じることがある。不治の病であるとか心の問題であるといった診断ではありません。とにかく目の前の今、何かをしてその痛みをサクッ切り取るわけにはいかんのだなと、感じるの。


治療師と患者 というスタンスでのアプローチではない、違うやりとりをしたほうが、意外な方向から治っていく可能性はあるとおもうことがあります。

今回、整体をして、いくらかラクになるということぐらいはしてあげられましたけれども。もっとラクにしてあげるにはもっと高い技術でほどこせられればよいと思う。しかし、もっともっとずっとラクになるには、寝てもらって身体に触るだけが能じゃない、とおもった次第です。





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