「整体」とは言っても、現代ではたいがい、指圧マッサージと何ら変わらぬような手技をまず習うことになります。厳密にいうならこれは違法行為(法的に指圧マッサージは国家資格、整体は民間療法なので)となりかねない、グレーゾーンですけれども。

20代のころの私もその例にもれず、まずはそういうことを習いまして、しばらくやっていました。ひたすら筋肉へのケアと、それから骨格調整をしていました。「氣」なんてものは一般的?治療業界ではむしろタブーなものでした。


肉体ケアをキッチリやれるようになることには頓着しました。そもそも昔は私自身、気功が身についていなかったわけで、モミモミやボキボキをやるしかなかったというのが実際問題でしたし、筋骨をケアすることは決して退屈ではなかったし、なにより、いかに力まずにチカラを出すかという修行になってました。

チカラはテメエが必死こいてリキンでたって何の意味もないのだということをしっかり学べました。相手の身体に届いているかどうかが全てなのです。もし武道であるならばそれは当たり前のことでしょう?老若男女が集うような道場での中国武術の推手や、合気道は、ガチ出力はしないかもしれませんが、 それよりはある意味だいぶ実戦的といいますか、ひとりよがりなチカラを出したところで、あるいはひとりよがりな柔らかい動きなどしたところで、ダメなものはダメなのです。


それにチカラの出しかたなんてのは基礎的なことであり、そこから多様な問題に対処していくわけでありまして。

そしてだがしかしまた、やればやるほど、物質的肉体以前の「氣」も感じざるを得なくなってくるわけです。さらには、氣以前の真氣にまで遡らないわけにはいかなくなってきたわけです。

そしてこれがまた尚更にシビアなんだ。テマエが捏造できる真氣などというものは、存在しないからです。